ウィーン講和: ヨーロッパの憲兵
プロイセンとしばらく今後の方針について話したあと、アルレシアはいったんサロンを出た。思いのほか早くプロイセンとの話が終わり、「オランダいなくて拗ねてんの?」と笑われて一発殴ってきたところだ。
実際、気が立っていたアルレシアを放っていなくなってしまったオランダに何も思わないでもなかったが、とはいえ互いにやることは多い。
現にアルレシアも、サロンを出てから先に鏡の間に戻ろうと階段を降りていたところで、ロシアを見付けてちょうどいいとばかりに誘い出した。
「アルレシア君に呼ばれるなんてちょっと怖いなぁ」
「嘘つけ」
そんな他愛ないことを話しながらカーペットの上を歩き、人の気配がない廊下に出る。
「時間もそんなにねえからここでいいだろ」
「盗み聞きされない?」
「生きてる人間がいたら俺が気付く」
「相変わらず格好いいね」
「さて。さっさと本題に入ろうか」
「君のそういうところ好きだよ。そうだね、本題といっても僕はさほど気にしていないんだけど」
とっとと切り出すと、ロシアは食えない笑みでそう言った。嘘だ、ようやく近代国家として列強と渡り合えるようになったばかりのロシア帝国が、経験豊富な列強ですら恐れるアルレシアの要求を恐れていないわけがない。
それを見せないようにしているのは、小さい頃から不遇の目に遭ってきたロシアの自衛なのだろう。
「列強が列強であるのは、常に仮想敵国のことを考えてきたからだ。イギリスにとってのフランスで、オーストリアにとってのフランスで、プロイセンにとってのフランスだ」
「フランス君ってそうだよね」
「そしてお前も、今や西欧列強にとって潜在的な敵国だ。メキメキ力をつけるロシアのことが、怖くて怖くて堪らないだろうな」
アルレシアが淡々と話せば、ロシアの顔は分かりやすく曇った。やたら「友達」というものに拘る孤独な北方の大国は、こうして列強の一員となっても感じている感覚を指摘され、悲しみを前面に出していた。
「……なんで、いつもそうなのかな」
「さあな。俺にはどうでもいい」
「…ほんと、アルレシア君ははっきりしてるよね。それでもたくさん友達がいて羨ましいよ」
「友達、ねえ。腐れ縁ってのが正しいな。商売相手でもあり、剣先を向け合ってきた相手でもある。でもな、そんな俺にも何カ国か、1度も敵対したことないやつがいんだよ」
「オランダ君とか?」
「あぁ。そんで、お前だ、ロシア」
「……そういえば、そうかも」
距離的なこともあり、またアルレシアが味方してきた国とロシアの思惑が一致していたこともあり、実は直接交戦したことがない。互いに別の同盟にいたこともあるが、面と向かってやり合ったこともなかった。
「目下、俺の目標は中立の維持と、国際貿易網の構築だ」
「……?」
「そこでだロシア。お前、近代的な国際交易ルートに興味ねえ?」
ニヤリとしながらロシアを見上げると、ぱちぱちと目を瞬かせる。そして首を傾げたロシアは、きちんと列強らしく真意を探ろうとしていた。
「通商要求のことかな」
「あぁ。なんで俺が通商協定を結ぶよう圧力かけてると思う?」
「その方が儲かるから」
「そりゃそうだ。もうちょい詳しく考えてみろ。指定した都市の自由化に関税削減、国境検査の簡素化に街道と河川の自由通行、そして商人保護のための3つの選択肢」
「……まさか、指定した都市を繋ぐ国際貿易ルートをつくるってこと?」
「上出来」
よくできました、とばかりに、遥かに高い位置のロシアの頭を撫でてやる。驚きつつも、案外素直に受け入れていた。手を下ろすと名残惜しそうにするあたり、ロシアも年下らしい可愛げがあった。プロイセンあたりはこれを聞いたらとても嫌そうにするだろうが。
「俺ん家を出てからイギリスとポルトガルを経由して、ジブラルタルとマルタとスエズを通り、アラビアを回ってペルシアを縦断し、カスピ海からヴォルガ水系を巡ってバルト海に出て俺ん家に帰ってくる、巨大な国際環状線。お前ん家では、アストラハンからノヴゴロドを通るヴォルガ川ルートと、ツァリーツィンでドニエプル水系に出て黒海経由でベラルーシ、ポーランドを抜けてバルト海に出るルートを設けたい」
「そ、んなの……地元の僕にだってできないのに……」
「俺はできんだよ」
笑って言えば、ロシアは驚きで失っていた言葉を飲み込んで、小さく笑う。
「…すごいなぁ、本当。いいね、乗ったよ。僕は君の要求を概ね受け入れて、君に味方すればいいんだね?」
「あぁ。ポーランドのことはお前に味方してやる」
「分かった。でも、そんな大きな環状線維持できるの?」
「もっとでかいのあるぞ?世界周航線がな」
「……は、イベリア半島の泥沼に突っ込んだの、そのため……?」
「そういうこと。日没の帝国から最後のプレゼントをもらってくとするわ」