″ヒーロー″−5
騒がしかった共有スペースから一転、部屋に戻ると、一気に静けさが耳に着いた。畳の上でようやく焦凍に下ろされると、焦凍は持っていたスマホを机の上に置く。
「晩飯は?」
「食べて来た。焦凍は?」
「俺ももう食った。じゃあ寝る用意するか」
「あ、もう寝るんだ」
「…まぁな」
焦凍はちょっと考えたようだったが首肯した。少し気になるが、まずは寝る用意をする。布団に並んで寝るのはいつも通りで、思えば、こんな当たり前を失う可能性がすぐそばにあるような作戦にいたのだと気付く。
一通り準備を終えると、先に済ませていた焦凍が布団の上でスマホを確認していた。どことなく目つきが鋭い。
「どうかした?」
「あぁ…ちょっとな。それより先に、ほら」
焦凍は答えず、スマホを置くとこちらに両腕を広げた。おいで、ということだろう。
焦凍の黒タートル姿が好きな灯水としては、そうされると抗えない。促されるまま、灯水は焦凍の腕の中に入り、その右腕の上に頭を乗せる。いつもと逆なのは、灯水の右腕が負傷しているからだ。灯水が、右側を下にしないようにしてくれている。
腕に頭を乗せて、目の前の焦凍の胸元にすり寄る。焦凍は頭を撫でつつ灯水の腰あたりに腕を回して抱き締める。心も体も弛緩するような、そんな安心感が広がった。
「…明日、仮免補習なんだ」
「さっき言ってたね」
「そしたら、なぜか親父が来ることになった」
「え、そうなの」
「補習には夜嵐もいるだろ。めんどくせぇ」
それで先ほどの鋭い目つきになっていたのだろう。相当に丸くなった焦凍だが、やはり炎司のことは毛嫌いしていることに変わりない。当然だ、彼が母にしたことや焦凍にしたことは永遠に事実として変わらないのだから。
2人はそれでも前を向くと決めたのだ。
「だから早く寝るの?」
「まぁ、それもあるが…どっちかっつーと、こうして灯水のこと甘やかして、そのまま寝ちまってもいいようにだな」
「…、そっか……」
これも先ほど答えるのに時間をかけていた内容だ。最初から言うと灯水が恥ずかしがると踏んだ焦凍が、単に早く寝るだけと先ほどは答えたのだろう。
つくづく焦凍には見抜かれている。
灯水の心のすり減りも、きっとわかっているのだ。
「…焦凍、」
「ん?」
「……人を救うのって、難しいね。救けられないのは……すごく、苦しい」
「……そうか」
ナイトアイの殉職は報道されている。ミリオのことは知らないだろうが、灯水が救けられなかった場面があったのだということは伝わっているだろう。
「でも、これが今の俺の実力なんだ。まだまだヒヨッコで、俺にできることなんて限られてる。だからさ…なんていうか、父さんってクソな人だけど、でも、やっぱりすごいよ」
どんな理由でヒーローをやっていようと、あれだけの人を救けられる炎司はやはりすごいヒーローだ。灯水はこれから、もっともっと頑張らないといけない。
「…俺はまだ仮免すら取ってねぇから、お前の今のつらさを共有できねぇけど。これから、一緒に事務所とか始めたら、なるべく一緒に抱えよう。救けられなかったことを胸に刻んで、もっと多くの人を救けられるようになるために」
「……うん、そうだね」
「だから今は、少しでも灯水の心を軽くできるなら、俺はなんでもする」
真摯な焦凍の言葉は、人を救うには若すぎる灯水の心をしっかりと立たせてくれる。支えてくれる。それが、冷え切った灯水の心を、温めてくれた。
「…ありがとう」
小さく言って、灯水はより深く、焦凍に抱き付いた。何も言わずに受け入れてくれる焦凍の温かさの中で、しだいに灯水の目蓋は落ちていった。