迷い:期末試験−9
こっそりと左右を確認する。右手にはマンション。こちらは超えられない。そうなると左手の民家か。ならば逃走経路は決まった。瞬時に頭の中でシミュレーションすれば、なんとか逃げる算段をつける。そうと決まれば即実行だ。
灯水はすぐに手榴弾に手を伸ばした。即座に相澤の捕縛紐が迫ってくる。捕まる前に地面に叩きつけて蒸気を出すと、煙の中で紐が灯水の胴体を捉えた。なんとか手は出せたため、灯水の体に繋がる紐に手を当てて超臨界水を出す。たとえどんなに強い紐だろうと、液体と気体という形状どちらも捨てた金をも溶かす水には叶わない。
数秒で溶解すると、灯水は後ろへ飛び出した。
左手の民家に行くと見せかけて後ろ右手の民家から逃げるのだ。左手に行くことは容易にバレてしまうため、あえて左右ではなく後方へ向かった。
なんとか胴体に撒きつく紐を地面に捨てて民家の敷地から路地に出ると、そのまま走り出す。恐らくこの方向には八百万がいるはずだ。相澤も追っているだろうし、早急に合流したい。
そう思っていると、ちょうど八百万が見えた。走っているのを蒸気によって追いつき、何も言わずにその体を抱えて蒸気で浮き上がり民家の庭に飛び込む。そしてそこから物置の中に入った。当然作り物の街だ、中には何も入っていない。
「灯水さん!?」
「しっ。ごめんね、手荒な真似して」
「相澤先生は…」
「撒いてきた。だめだ、逃げきれないし一度個性を止められたらそう逃げられない」
さっきのは偶然に近い部分もある。そうやすやすと逃がしてはくれないだろう。
狭く暗い物置の中で女子と2人などそう長くしていたい状況ではない。ここは八百万の考えていたことを無理やりにでも聞くべきだ。
「ね、八百万さん。何か作戦あるんでしょ」
「…、私の作戦なんて…」
「八百万さん!それを決めるのは君じゃない、結果だ。結果がものを言うんだ。やる前からそんなこと言ったって変わらないよ」
「…でも、今まで私の考えは何の役にも…」
「君の個性は君の豊富な知識あってのものじゃん。そんだけ頭いいんだからさ、一緒に考えたらもっとすごいものになるよ。大丈夫、1人じゃないから」
物置の中に、2人分の息遣いが響く。少しして、八百万はようやく話し始めた。
「…時間さえあれば、熱によって元の形に戻る形状記憶合金によってできた捕縛紐で先生を拘束できます。カタパルトで紐を撃ち出して、轟さんの炎で熱を浴びせればうまくいきますわ」
「なるほどね。問題はその時間の捻出、先生の個性対策、そんで焦凍との合流か」
焦凍と合流すれば、焦凍に布をかぶせるなりして姿を隠させればいい。そのほかについては、灯水の蒸気によって視界を塞げばいいだろう。
「…わかった、時間稼ぎと先生対策は俺がやる。八百万さんは焦凍の救出と必要なものの作成かな」
「大丈夫ですか?」
「やるしかないでしょ。時間がない、走ろう」
2人は物置を飛び出すと、道に出て焦凍がいるところへ走り出す。偶然にもそう遠くないところだったため、すぐに焦凍が見えた。
電線から捕縛紐によってぶら下がっている状態になっており、後で思い返せば絶対笑えるなと思いながら後ろからやってくる相澤の気配を察する。
灯水はすぐに全身から蒸気を噴き出した。かつて対人戦闘訓練でビルの3階分を覆ったような全力の蒸気だ。これによって相澤は誰のことも見えていない。定期的に蒸気を出しながら走って追いつくと、八百万が焦凍をくくる紐をほどいてゆっくり降ろしていく。
「八百万さん、いくよ!」
「お願いします!」
蒸気によって相澤が見えていない中、灯水は大氷結を放った。高さ20メートル以上の氷の壁だ。それによって蒸気は晴れたが、相澤からこちらは完全に見えなくなった。住宅地ごと覆った氷の影で、焦凍を下ろした八百万は2人に背を向けるなりバッと服の前を広げた。とっさに2人とも後ろを向く。葉隠もそうだが、もう少し気にしてもいいと思うのだ。