夢主と考える国際経済シリーズ
−日本の自由主義とTPP



リーマンショックやギリシャ危機のゴタゴタが、一時期の混乱から抜けた2015年。TPP大筋合意というニュースが、各国の経済面のトップに躍り出た。
いよいよ新自由主義の時代だな、とアルレシアも感慨深く思った。1年後に、アメリカの大統領選が終わるまで。


***


環太平洋パートナーシップ協定、TPPは、アジア太平洋の12ヵ国によって構成される世界最大の自由貿易圏だ。
目的としては、この12ヵ国で一斉に関税を引き下げ、投資ルールなどを統一するものである。しかしこのTPPは、その成立過程を見ればそれだけでないことが一目で分かる。


そもそも関税をみんなで引き下げようという動きは、ブレトンウッズ体制まで遡る。第二次世界大戦に終わりが見えた頃、枢軸の次は共産主義が敵になると見越したアメリカとイギリスが話し合い、自由主義を世界に広めることが決められた。
大戦が世界恐慌とブロック経済、つまり保護主義によって引き起こされたという反省から、二度と、あの4000万人が命を落とした戦争を繰り返さないようにという意味が籠められている。

そうして西側諸国が一同に介し、関税引き下げのラウンド交渉が行われ、GATT(関税と貿易に関する一般協定)が成立した。GATTはその後も参加国と対象品目を増やしながら交渉を進めていき、ついに1995年、世界貿易機関設立に関するマラケシュ協定が締結されたことでWTOが生まれた。

しかしWTOには、ちょうど冷戦が終わったこともあり、多くの東側諸国が加わった。結果、新たに始まったドーハ・ラウンド交渉は停滞し、2001年から現在に至るまで終結を見ていない。

そんな状態を打破すべく、先に少数国で交渉して小さな協定を結ぼうということになった。それを自由貿易協定、FTAという。
FTAは数を増やしていき、やがて2011年には200以上に達していた。それはつまり、200以上の貿易ルールが世界に乱立しているということだ。
その煩雑さを解消するためにも、また、小さな協定からさらに利益を拡大するためにも、より大型のFTAが求められた。自由貿易圏と呼ばれるものである。代表例として、欧州のEUはその役割も担っているし、ほかに北米自由貿易協定NAFTA、南米南部自由貿易市場MERCOSURなどがある。

そのアジア太平洋版を作ろうという動きが出てくるのも当然のことだった。

最初はシンガポールやブルネイなどの小国が始めたP4という小さな枠組みから始まり、アメリカやカナダなど大国が次々と割り入った。
アメリカやシンガポールなどは自由主義についてとても先進的な態度だったため、TPPに拡大されると高度な交渉が始まった。


「なんで美国のやつこっち来るアルか…北米に留まってるよろし…」

「兄貴!兄貴!俺らもやるんだぜ!」

「そ、そうアルな!東アジア集合するアル!」


そんなアメリカのアジアへのアクセスに警戒したのが、東アジアにおける覇権を目指す中国だった。FTAを進める韓国も賛同し、中国はアメリカを含まない、東アジアだけの枠組みを作ろうとした。


「中国さんの好きにさせるわけにはいきませんね…ASEANと韓国さんでは、中国さんに引き摺られて役不足ですし…」


一方日本も中国のそのような態度に警戒した。中国式の自由貿易が東アジアで台頭することを恐れたのである。例によって経済と金融においては強かな日本は、中国に対抗することにした。


「中国さん、私、東アジアにはオーストラリアさんやインドさんも入ると思うんです」

「!?何言ってるアルか!?」

「さて…TPPにでも入りましょうかねぇ…」

「ま、まま待つアルー!」


民主主義と資本主義を維持するため、日本はオーストラリア、ニュージーランド、インドという英領組を誘ったのである。さらにTPPに加盟することで、中国に圧をかけた。
たとえ中国が主導したところで、日本のいない東アジアの自由貿易圏など意味がない。成立の大前提である日本が、TPPを理由に中国の主張する枠組みを拒否すれば、すべて白紙になってしまう。
中国は渋々、日本の言うとおりオーストラリアとニュージーランド、インドを含めることに同意した。

こうして、日中韓、ASEAN、豪新、そしてインドの16ヵ国がRCEP、東アジア地域包括的経済連携の交渉を開始したのだった。


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