メクレンブルクと中欧史
−誕生、出会い
●中世中葉
夢主誕生とプロイセンとの出会い話
ローマ帝国の崩壊に前後して発生した、ゲルマン大移動。ゲルマン人がいなくなった欧州北部には、スラヴ系が移り住んだ。
その一派が、ヴェンド人と呼ばれる民族で、さらにその中のオボドリト族がメクレンブルク地方に移り住んだ。周辺でそれなりに大きな国家を築いていたが、南方の、当時はまだ幼かったザクセンによって攻められて屈服した。
そして1167年、オボドリト族の国はザクセン公国に拝する形でメクレンブルク候となった。
レイスはこのときに国として自我が芽生え、粗末な石造りのメクレンブルク城で過ごし始めた。まだ右も左も分からないような状態だった上、この頃から少しずつ東方植民が始まり、西方ゲルマン人やフランドル人がやって来ていた。
彼らやザクセンを見れば、自分の姿が異なっているのは幼いながらにすぐ気付いた。同じ見た目の上司ではなく、ザクセンの上司でオボドリト族を倒したハインリヒ獅子公にそれを訊ねたことがある。
「なんで、ぼくと皆は違うんですか?」
「メクレンブルクか。お前は私よりボヘミアの方が似ているだろうな。民族が異なるのだから」
難しくてそのときは分からなかったのだが、だんだん大人になるにつれ、民族系統が違うのだと分かった。もうその頃にはハインリヒ獅子公もとっくに亡くなり、"国"と人との根本的な違いも分かるようになっていた。
そのハインリヒ獅子公は、12世紀後半に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に敗れて失脚し、メクレンブルクは1181年より神聖ローマ帝国に属する領邦となった。フランク王国時代からの領邦たちばかりの帝国では比較的後輩で、見た目が違う上に口論を繰り広げる彼らを敬遠し、やがてレイスは早くも帝国内で浮いた存在となる。
一方で、積極的に関わるようになった者たちもいた。
それは、ハンザ同盟と北欧組である。
ハンザ同盟の始まりは1161年、ハインリヒ獅子公が北ドイツ遍歴商人とヴァイキングとの仲介をしたことからだ。当時の主要な商人は、各都市を巡る遍歴商人だった。彼らがバルト海で活動するにあたって、ヴァイキングたちとの競合関係に晒され、それが不利にならないよう遍歴商人は団体を作った。
ハインリヒ獅子公のおかげで組織化され、ヴァイキングと健全な競合関係となった彼らを、古典ドイツ語で"団体"を意味するハンザと呼んだ。
商人ハンザは、北ドイツではリューベックを、バルト海ではスウェーデンの東にあるゴトランド島のヴィスビューを拠点にして拡大。リューベック市民の植民で、メクレンブルク領内にもロストックやヴィスマールが建設され、隣のポンメルンにはシュトラールズントを建設した。これらの都市は帝国自由都市とされ、ロストックなどは現在でも独立市となっている。
レイスはロストックと仲良くして商人ハンザを保護するように心掛けた。おかげで、沿岸部は比較的発展していた。
13世紀には定住商人が大多数を占めるようになり、商人の暮らす都市が相互にネットワークを構築、商人の団体から都市の団体へと変質した。すると、都市同盟の中心であるリューベックと遍歴商人の中心であるヴィスビューが主導権を巡り争うようになった。
そして13世紀末までには、リューベックへと中心は移り、ハンザ同盟という形が成立する。