メクレンブルクと中欧史
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悪いヤツではないとは分かっていたレイスだったが、北ドイツをデンマークに支配されるのは不利益になることに変わりはなかった。第一国家となったばかり、支配を受けるなど普通に嫌だ。
ハンザ同盟もデンマークによる北ドイツの支配でコストが嵩み、いち早く占領前に状態を回復したかったが、都市単位では難しい。

デンマークは1219年にはエストニアをも支配下に治め、バルト海沿岸部の大部分を国土としていた。主にハンザ同盟の貿易が滞る不都合からデンマークへの不満は高まり、バルト海沿岸部ではほぼ唯一、まともな国家であったレイスが乗り出すことにした。

ハンザ同盟諸都市と北ドイツの領邦たちが密かにシュヴェリーンに集まると、レイスは立ち上がる。


「もういい。俺が行く」

「えっ、メクレン兄さん!?」

「よっ、メクレンブルク!ハンザ同盟の守護神!」

「さすレンブルク!」


驚くロストックを宥め、持ち上げてくるハンザ同盟組に睨みを効かせる。商人は調子がいいのだ。
レイスはタメ息をつくと、すぐにデンマークへと向かった。


そして1223年。
レイスはデンマークと、デンマーク王ヴァルデマー2世と息子エーリクをなんと誘拐し、3年に渡り幽閉したのだ。デンマークはいいヤツだが、それとこれとは別である。

こうしてヴァルデマー2世を揺すり、北ドイツを解放してハンザ同盟への商業特権を認めさせた。占領前よりさらに優遇させた形である。


「メクレン兄さんすげえ!」

「メクレンブルクさんかっけえ!」

「ハンザ同盟の希望の光!」

「さすレンブルク!」


これには北ドイツとハンザ同盟も大盛り上がりだった。純粋に喜ぶロストックや領邦たちはいいとして、ハンザ同盟は相変わらずのヨイショである。ただそれも、レイスは嫌いではなかった。
やはり見た目が違うけれど、それでも金さえあれば気にならないな、と漠然と思ったのだった。


その後、デンマークはヴァルデマー2世の崩御とともに再び王位を巡る混乱状態となり、国土の大部分を借金の旦保としてエストリズセン朝の実質領土はほとんど喪失した。

一方で、レイスはスウェーデンやフィンランドとの貿易を活発化させ、隣のポーランドやリトアニアとも陸路の貿易を行った。ハンザ同盟は都市同盟として発展していき、穏やかな日々となった。

そんなときに出会ったのが、ドイツ騎士団だった。




レイスが自我を確立した12世紀後半、ほぼ同じ頃にドイツ騎士団が生まれた。当初は十字軍に従って医療奉仕をする聖マリア修道会だったものが、やがて武装し、ドイツ騎士団としてローマ教皇に認められたのである。

13世紀初頭までは東地中海と欧州を行ったり来たりしていたのだが、1211年にハンガリーのトランシルヴァニアで領邦を構築し、一時的にハンガリーの家に居座ってデカイ態度を取った。そして1228年、ポーランドとローマ教皇の許可を(強引に)得て、バルト海東沿岸部の異教徒を改宗させるためプロイセン地方を領有した。ドイツ騎士団領の正式な始まりである。

徐々に都市同盟の性格を濃くしていたハンザ同盟の都市、ケーニヒスブルクなどを有していたため、ハンザ同盟との経済的繋がりを深めていった。

その中で、レイスは出会ったのである。


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