メクレンブルクと中欧史
−タンネンベルクと縮む距離
●15世紀
プロイセンの中没と縮む関係
プロイセンにやって来てからというもの、ギルベルトは勢力拡大を続けていた。ハンザ同盟とデンマークとの戦争でも強力な力添えとなったのだが、そんなギルベルトは一時的な没落の時代に入る。
ギルベルトはリトアニアに対して改宗を何度も迫り、プロレス技をかけまくって現代で忌み嫌われる端初となった。そんなリトアニアだったが、ポーランドど同盟するときにはあっさりと改宗を決意、1386年にリトアニア大公ヴワディスワフ2世が、続いて1387年に全土が改宗した。同時に改宗したリトアニア大公はポーランド王女と結婚し、ここにヤギェウォ朝ポーランド=リトアニア王国が成立した。
この合同は、ポーランド=リトアニアを欧州最大の領域と人口を持つ大国にしたが、国内では不協和音もあった。それが最も激しかったのが、プロイセンとシロンスク(シュレジェン)だった。
ドイツ騎士団領だったプロイセン地方の人々、特にハンザ同盟都市の住民は厳しい騎士団支配を嫌い、都市住民や農民など様々な住民が徒党を組み始めていた。ポーランドは当時にしては非常に珍しいかなりの自由主義国家だったため、ドイツ式の規制ばかりの国家は嫌気が指していたのである。
一方、シロンスクはポーランドでも非常に豊かな土地で、後に18世紀のオーストリア継承戦争でプロイセンに狙われるような豊富な資源をすでに有していた。しかし13世紀中頃のモンゴル侵攻によって、中心都市ヴロツワフを始め域内は荒廃し、その復興途中だった。シロンスクを支配する旧ポーランド王家の傍流、シロンスク=ピャスト家は、その復興の中でドイツからの移民を積極的に受け入れることで影響力を持ち、ヤギェウォ朝という外国人王朝に対抗しようとしていた。
15世紀に入ると、ドイツ騎士団はすでに利権目当てでリトアニアと争っており、大国となったポーランド=リトアニアを弱めるべく派兵を決意した。これにシロンスク=ピャスト家も追随し、他のいくつかの騎士団も加わって、ドイツ騎士団連合軍が組織された。
一方、ポーランド=リトアニアにはプロイセンの住民やボヘミア、オランダの傭兵、さらに様々なルーシ系兵士やタタール人も加勢した。特にタタールは、寛容なポーランドに逃れてきたモンゴル帝国とジョチ・ウルスの少数派の人々であり、かつてユーラシアを支配した身体的強さを持っていた。
こうして1410年、グルンヴァルド南方の平原、通称タンネンベルクにて、両軍は相対した。
いわゆるタンネンベルクの戦いである。
リトアニアの機転を利かせた陽動作戦によってギルベルトは大敗し、マリーエンブルク包囲を辛くも逃れたものの、1411年のトルンの和約では一部失地した。
何よりもこの戦いでドイツ騎士団は壊滅的損害を出し、兵力も財政もボロボロになってしまった。
いつもと同じように、なぜか怪我をするとレイスの家に来る習慣通りやって来た。しかし、いつもよりその怪我は深刻なものだった。マリーエンブルクからここに来たのであれば、もはや完全な遠廻りだ。
「おま、なんて怪我…!」
「あー!くっそ卑怯だぞリトアニアの野郎…」
「分かったから早く座れ!」
普段よりついきつい口調で言うと、ギルベルトはびっくりして素直に応じた。椅子に座ったギルベルトのマントやら甲冑やらを脱がせると、全身に怪我をしている。マリーエンブルク包囲は2ヶ月続いたにも関わらず、タンネンベルクでの怪我が残っていた。治りが遅いのは、それだけ損害が酷かったということだ。
レイスもギルベルトも、すでに体は20歳くらいに成長した。それでも、無理しすぎだった。
「なんであんな大国相手にしたんだよ…」
「うっせーな、お前に関係ねぇだろ」
「じゃあなんでここに来たかな?」
「いでででで!!」
ギルベルトの正面にしゃがみシャツをたくしあげ、露になった皮膚の傷口に直接濡らした布を押し当ててやれば、ギルベルトは思いきり痛がった。涙目になっている。
「容赦ねぇな、くっそ…」
「…当たり前じゃん、それだけ、心配してるんだよ…」
図上からぶすくれる声が落ちてくるのも構わず、ついレイスは目の前のギルベルトの厚い胸板に額をつけて軽く凭れた。やはり常に戦っているだけあって、たとえ見た目年齢は同じでも体格はレイスとはまったく違っていた。
「レイス…?」
「……心配、させないでよ……」
少し声が震えてしまった。布は血で赤黒くなっている。国だから死ぬことはない、しかし簡単に滅びてしまうのもまた国の特徴なのだ。
ギルベルトは茶化すことはせず、ただ黙ってレイスの頭に手を置いて、くしゃりと撫でた。