メクレンブルクと中欧史
−近世の大動乱: 宗教改革
●16世紀前半
宗教改革とプロイセンとの同盟
プロイセンがポーランドとリトアニアにタンネンベルクや十三年戦争で大敗し、プロイセン公国としてポーランドに拝領したことに前後して、欧州は広く宗教改革の波の中にあった。
15世紀からフス戦争などでボヘミアは荒れており、帝国内ではかなり不穏な動きが多かった。
また、北欧における政治不信と動乱も重なり、メクレンブルクの周辺は不安定になっていた。
そんな中、宗教改革はついに北ドイツへ到達した。
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まだギルベルトがポーランドとガチンコの戦いをしている頃、それを指揮していたドイツ騎士団総長のアルブレヒトは常に味方を探していた。
昔から派手な戦い方の不良騎士団だったギルベルトは各地でのけ者にされていたため、このときからすでにぼっちだったのである。
タンネンベルクの戦いのとき、ポーランドやリトアニア、さらに神聖ローマ帝国やデンマーク、イングランド、アラゴン、ワラキアなど、この時代の大国が軒並み加盟したドラゴン騎士団に入っていなかったからだ。
現代ではギルベルトはあたかもこのドラゴン騎士団と全面ガチンコ対決をしたかのように誇張して喋るが、実際にはポーランドたちとのタンネンベルクの戦いのみである。
しかし、これ以来なんとなく元加盟国とギルベルトとの関係は良くなく、なかなか味方がいなかった。
1500年代に入ってから、ギルベルトは足しげく帝国議会に顔を出すようになり、そこで友達探しに勤しんだ。その中で、広がり始めていたプロテスタントとの関わりを見出し、改宗を決意した。
カトリックを広めるためにバルト海沿岸で暴れまわっていたかと思えば、自ら改宗したのである。
「ルター派マジ楽しすぎるぜー!!お前らマジ改宗した方がいいってー!!」
そうやって領民に広める涙ぐましい努力もあって、ある程度の論争はあったもののギルベルトが黙らせ、ようやく1523年にドイツ騎士団領はルター派に改宗した。
だがその頃には戦況は絶望的で、2年後にはポーランドに敗北を認める形で臣下となり、ブランデンブルクのホーエンツォレルン家を世襲とするプロイセン公国となった。
それと同じ頃、北欧はカルマル同盟がついに終焉を迎えようとしていた。
元はといえば、1)スウェーデンが国王を追放しマグヌスを国王にする、2)やっぱり嫌になってマグヌスをノルウェーに追放する、3)ノルウェーはキレてマグヌスの孫オーロフ2世を王に据えてデンマークと同君連合になる、4)スウェーデンはメクレンブルク公を王にする、5)やっぱり嫌になってオーロフ2世の従妹の子エーリク7世を王にし、デンマーク=ノルウェーと同君連合になるという流れでカルマル同盟は成立した。
レイスからすれば、スウェーデンの駄々っ子で何度も戦争をさせられた形だ。
その後、カルマル同盟はエーリク7世の甥クリストファ3世が継承し、そこから曾祖父の妹の系統の子であるクリスチャン1世に継がれた。
クリスチャン1世は母がシャウエンブルク家、父がオルデンブルク家だったため、これよりデンマークの王朝はオルデンブルク朝となる。
シャウエンブルク家はホルシュタイン伯の統治系統で、途中からシュレースヴィヒ公も兼ねていた。そのため、クリスチャン1世からデンマークは元から領有していたシュレースヴィヒに加えホルシュタインも領土とすることになった。
その際、スウェーデンはそろそろ飽きてきたのか独立を求めるようになっており、一悶着あった。なんとか息子のハンスが3王国を再統一したが、その息子のクリスチャン2世が問題だった。
ハンスの弟のフレゼリク1世に続いて王位についたクリスチャン2世は、少々政治の腕に難があり、失政が続いたのだ。それは最悪の形で表出する。
1520年、スウェーデンの反乱を鎮圧したクリスチャン2世は、政治犯を処罰しないから和解しよう、と言って王宮に集めた。反乱の中心人物たちを一同に集めると、なんと彼らを全員処刑。さらに抵抗勢力の象徴だった未亡の王妃を捕らえて幽閉した。
血に染まった広場から、これをストックホルムの血浴という。
こうしてスウェーデンとデンマークの対立は決定的なものとなり、スウェーデンはフィンランドを連れてデンマークの家を飛び出した。
1523年には完全に独立し、最後の大反乱を率いたグスタフ1世がヴァーサ朝初代国王となった。
グスタフ1世は1527年に勅令でルター派への改宗を宣言し、スウェーデンもプロテスタント国家となった。
デンマークもクリスチャン2世の失政への抵抗から、フレゼリク1世の息子クリスチャン3世が貴族たちの後援で国王の座につき、ルター派への改宗を急いだ。カトリックを中心にした勢力はクリスチャン2世の復位を目指して伯爵戦争を起こしたが、グスタフ1世の助けもあってクリスチャン3世が勝利した。
こうして1536年にはデンマーク=ノルウェーもプロテスタント国家となったのだった。
ちなみに、クリスチャン3世の妹ドロテアはプロイセン公国の初代アルブレヒトに嫁いでいる。