メクレンブルクと中欧史
−近世の大動乱: 三十年戦争



●三十年戦争第一期〜第二期


レイスとギルベルトがスルーしたシュマルカルデン戦争は、結局旧教側が勝利して終わったものの、一応は1555年のアウクスブルクの和議でルター派が承認された。レイスをはじめ、ギルベルトや北欧3人組、北ドイツ諸侯もルター派となり、選帝侯のうちザクセン、ブランデンブルクもルター派で確定した。
ブランデンブルク選帝侯のホーエンツォレルン家は、傍流がプロイセン公国を支配していることからいずれはこの地も支配することを考えており、婚姻関係によってそれを進めていた。ポーランドに負けっぱなしのギルベルトもそれを受け入れている。

一方でレイスは近代化に努め、多くの学術機関や芸術が振興された。
プロイセンの初代公爵であるアルブレヒトの娘ソフィーと結婚したメクレンブルクのヨハン・アルブレヒト1世は、相続をめぐっていちゃもんをつけられ、それが武力衝突にまで発展。ブランデンブルクに調停してもらう場面もあった。
その後のヨハン7世は、親戚に継承権を強要され自殺、シュヴェリーンの怪談話の元となった。

色々とあったものの、ヨハン7世とホルシュタイン=ゴットルプ家のソフィーとの間に生まれたアドルフ・フリードリヒ1世は安定した継承を行うことができた。
ホルシュタイン=ゴットルプ家とは、デンマーク王家であるオルデンブルク家がデンマーク王室になった際、その初代国王が放棄したホルシュタイン公国とシュレースヴィヒ公国を支配した傍系の家である。隣り合う地域であることもあり、メクレンブルク家とは非常に関係が深い。

そのアドルフ・フリードリヒが即位した1592年、欧州諸国は揺れ動いていた。
デンマークとノルウェーはハンブルクと戦争しており、スウェーデンはポーランドと、スペインはオランダと戦争状態にあった。フランスの内乱ユグノー戦争はスペインの介入を受けて激化している。デンマークたちの戦争を除き、他は宗教改革を発端とした戦争である。

ギルベルトはといえば、公国最初の公爵であるアルブレヒトの死後、息子が即位したものの鬱になり、代わりにブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯兼ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯が摂政を務めていた。早々に安定を欠いている状態である。

しかしそうした混乱も徐々に収束の兆しを見せ、西欧は17世紀に入る頃にはほぼ戦争は停戦していた。スウェーデンとデンマークがそれぞれ戦いを続けているが、ドイツ以西は概ね落ち着いたといっていい。特に、神聖ローマ帝国では皇帝が新教徒に宥和的だったために戦闘が起きていなかった。

そんな小康状態もつかの間、皇帝マティアスの次の皇帝とされたハプスブルク家のフェルディナンド2世が、先行してボヘミア王に即位すると、領内で新教徒弾圧を開始した。少し前から色々と目論んでいたカルヴァン派のプファルツ選帝侯フリードリヒは、ボヘミアに支援を約束し、ついに1618年、プラハ窓外投擲事件によって三十年戦争の火ぶたが切って下ろされた。



***



「おい、いるかレイス」

「いるけど」


例によって突然やってきたギルベルト。いつも通り出迎えると、荒々しく椅子に座るなり手紙を机に放った。


「お前にも来ただろ」

「一応ね。こんな弱小領邦にまで送るとは」


手紙はプファルツ選帝侯からだ。選帝侯フリードリヒはボヘミア王に勝手に即位し、フェルディナンド2世の怒りを買って戦争状態に陥っていた。ボヘミア・プファルツのプロテスタントチームに入ってほしいという手紙が各国に届いているのだが、それぞれ反応は良くないようだ。

まず戦争中のデンマークとスウェーデンはそれどころではない。フランスは一応カトリック国家で落ち着いたし、イギリスは国王がスペイン寄りの考え方である。ザクセンはカルヴァン派の台頭を警戒し、プロテスタントといえど賛成しなかった。オランダは少し国内がごたついていて静観の構えである。


「ギルはどうすんの。ブランデンブルクとひとつになったじゃん」


この年、ホーエンツォレルン家は正式にプロイセン公の座を継承することになり、ブランデンブルク=プロイセンが成立した。ブランデンブルク選帝侯領とプロイセン公国との間には、ポンメルン公国やポーランド王領プロイセンなどが挟まっており、飛び地のような形である。


「そーなんだよ。だから、俺ん家もブランデンブルク本土も大忙しなんだよな」

「それどころじゃないってことね。俺も戦力にはならないし…ルター派としては、反社会的行動は好ましくないしね」


そもそもルター派は反社会的な行動はとってはいけないことになっている。ルターがドイツ農民戦争を黙殺したのもそれによる。


「んじゃ、今回も見送りだな」

「そうだね」


そうして二人も今回の戦いには参戦しないことを決め、プファルツの手紙は黙殺した。

援軍のないプファルツは、一応オランダが「俺ん家の近くんヤツがスペインにかやされるんは困るさけ、手伝ったる」と財政支援だけされたが、結局惨敗。
ドイツ西部に二か所あるプファルツの領地は、西ラインプファルツがスペインに、それ以外がバイエルン連合軍のものとなった。スペインはミラノからこの西ラインプファルツ、そして協力の見返りにオーストリアが差し出したブライスガウとアルザスを得て、南ネーデルラントと合わせてスペイン回廊という領土の一群を築き上げた。


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