メクレンブルクと中欧史
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三十年戦争第一期の終結に前後して、レイスとギルベルトの混乱がついに始まった。
2人に多大な影響をもたらすことになるスウェーデン王であり北欧の獅子、グスタフ・アドルフの台頭がまず始まった。
グスタフは若かりし頃に、オランダの軍隊王と呼ばれたオラニエ公マウリッツのもとで軍事改革を教わり、スウェーデンの軍隊を一気に改革した。火縄銃を一列ごとに撃っては後ろに戻り装填、控えていた2列目が発砲しまた後ろに戻りを繰り返す方式が有名で、これは恐怖心を克服するために恒常的な訓練を必要とするため常備軍の考え方が生まれることとなった。オランダは金にものを言わせて常備軍を維持したが、スウェーデンは徴兵制を開始した。ちなみにこの方式は日本にも伝わることとなる。
グスタフは帰国するとモスクワ大公国の「大動乱」に介入してストルボヴァの和約にてイングリアとカレリアを獲得、デンマークとの独立を巡るカルマル戦争では何とか賠償金だけで済ませた。
その後、ブランデンブルク選帝侯でプロイセン併合を行ったヨハン・ジギスムントの娘マリア・エレオノーラと結婚した。
そのマリア・エレオノーラの兄であり、1619年に次の選帝侯となったゲオルク・ヴィルヘルムは、ブランデンブルク=プロイセンに多大な影響をもたらすこととなる。
一方、1621年にメクレンブルクではアドルフ・フリードリヒがメクレンブルク=シュヴェリーンを、弟のヨハン・アルベルトがメクレンブルク=ギュストロウを分割統治することになった。この2人もまた、三十年戦争にて大変な目に遭うのだった。
***
1625年、北ドイツ諸侯にとって最後の平穏な夏がやって来た。
1621年に再開したオランダとスペインの戦争はさらに激化し、スイスの一州がフランスの要望でスペイン回廊の重要な街道を封鎖。ローマ教皇がフランス寄りだったこともあり、イタリアからオランダまでスペインが通れる場所はなくなった。
スペインの助けがなくなった皇帝軍は財政的に困窮し、傭兵を雇えなくなっていた。
フランス、イギリス、オランダ、デンマーク、スウェーデンはハーグ同盟という形で連合していたが、領邦に過ぎないレイスはそれには参加できない。その代わり、戦争になればデンマークに協力することにした。
隣のホルシュタインで準備をするデンマークのところに行くと、その耳元でこっそり告げる。
「俺はデンマークにつくから」
「!ほんとか!!やっぱ持つべきもんは友達だっぺなぁ〜!!」
「声でかい!!」
プファルツ選帝侯位をバイエルン公に譲渡するという強引なことを行った皇帝への不信感もあり、レイスはようやく戦争にコミットすることにした。しかしあくまで領邦であるし、弱小な国なので、こっそりである。
大した問題にはならないだろう、というのは、この戦争が人類史上最初の近代的国際紛争であることを分かっていなかったことを端的に示す考え方だった。
そしてその夏、デンマークが侵攻を開始した。合わせて、第一期の戦いで活躍した傭兵マンスフェルト軍と、ブラウンシュヴァイク公クリスティアン軍がデンマーク側で参戦したものの、互いに仲が悪く協力はしなかった。
結果、1626年までにそれぞれが各個撃破されることになる。
それをもたらしたのが、傭兵ヴァレンシュタインである。スペインの助けがなく金がない皇帝に代わり、徴税権だけもらうと皇帝に財政的援助なしでやれると豪語した。
そうしてヴァレンシュタインはブランデンブルク選帝侯領をはじめ、北ドイツで酷い重税を課して傭兵を養い、中には面白半分で略奪する者もあった。急速にブランデンブルク選帝侯領は荒廃を開始し、ザクセンとともに中立の姿勢を傾け始める。
「すまねぇメクレン!力貸してくんろ!」
「俺戦争苦手なんだけどなぁ…!」
敗走を続けるデンマークは、ついにメクレンブルクまで後退した。ひそかに味方していたメクレンブルクはそれを受け入れてデンマークを助けるも、迫りくる傭兵軍団に顔を引き攣らせた。
「なんだあの数…」
「10万はいるんでねぇか…」
南方の湖畔で待ち構える2人だが、やって来た皇帝軍は10万ではきかない数だ。手に持つ剣が震える。スウェーデンのように最新の銃など持ち合わせていないのだ。
「ギル…」
ギルベルトに側にていて欲しかったような、こんなところにいて欲しくなかったような、複雑な気分だった。