メクレンブルクと中欧史
−2
「レイス!!!大丈夫か!!!」
低い怒鳴り声は、およそ元聖職者とは思えないものだった。しかし、何よりも安心するものでもあった。
「…っ、ギル…!!」
「なっ、誰だ!?」
男たちは動揺して体を離す。思わずその場にへたり込むと、空き家の影から見慣れた男が飛び出した。汗をかいており、走ってきてくれたのだと分かる。
その姿を見たら、急速に安心してしまった。ほろ、と目から自然にこぼれてしまったものが頬を伝う。それを見たギルベルトは、さっと怒りに顔を染めた。初めて見る、ギルベルトの本気の殺意だ。
「ひっ!?」
「まさか、プロイセン公国!!??」
その殺気に、傭兵の端くれである男たちも気づいた。自分たちに向けられたそれは、まさに恐怖しか感じられないだろう。
「殺してやる」
ただ一言、ギルベルトはそう言った。そして一気に距離を詰めると、まず前にいた男を蹴り飛ばした。もろに顎に入った。男は声も出せずに吹っ飛び、地面に倒れてぴくりとも動かなくなる。
「な、や、やめ、」
「うるせぇ」
ギルベルトはさらに後ろにいた男をレイスの頭上で殴ると、もう一歩詰めて膝を腹にぶち込む。「ぐえ」という無様な声がして、男は地面に沈んだ。
唖然として見ていると、ギルベルトは腰から剣を抜いた。陽光に照らされて光るそれは、鞘から抜かれて鋭い音を出す。
「ちょ、ギル!まさかほんとに…!」
「殺すっつったろ」
「バカ!俺たち人間にそんなことしていいわけないじゃん!!」
「関係あるか」
完全に頭に血が上っているらしい。なんだかんだで冷静な男であるギルベルトがここまで心を乱しているのは初めてだ。レイスは焦り、慌ててズボンを履いて立ち上がるとギルベルトの逞しい腕にすがりつく。
「神が許しても俺が許さない!!そんなヤツの血に染まらないでよ!!」
「っ、レイス…」
「…ありがと、ギル。助かった。だから、もう、行こ」
「……あぁ」
ようやく冷静になったらしいギルベルトは、剣を戻してレイスの肩を抱く。引き寄せられて密着した。
「お前、しばらく俺から離れるな」
「え、でも…」
「こんなことがあってお前を1人にできるわけねぇだろ。おとなしく守られてろ」
ギルベルトはそのまま歩き出す。つられてレイスも密着したまま足を踏み出した。背が高いギルベルトの横顔は真剣で、本気でレイスを守ろうとしてくれているのだと分かった。
自分たちは親友だと思う。しかし、こんな格好いいことをされたら、そりゃドキドキだってするだろ、とレイスは内心で1人弁明していた。
***
その年、ヴァレンシュタインはメクレンブルクからさらにシュレースヴィヒ公国、ホルシュタイン公国へと侵攻し、ユトランド半島の略奪を開始した。デンマーク軍は半島からシェラン島へと逃れて、海軍のないヴァレンシュタインは半島を撤退した。
代わりに、それまで中立を保っていた自由都市であり西ポンメルンの沿岸に位置するシュトラールズントを占領。これにはデンマークだけでなくスウェーデンも危機感を感じ、グスタフ・アドルフはプロイセンからシュトラールズントへ向かってこれを解放した。
その後、スウェーデンはポーランドに対して戦況を有利に進めた。スウェーデンも最終的には継戦能力を喪失するほどの打撃を受けるのだが、ポーランド議会およびリトアニア議会それぞれが重なる戦費に予算編成を渋り、ポーランド軍が守勢に回らざるを得なくなったのだ。
こうして、アルトマルクの和議によって停戦し、スウェーデンは獲得したリヴォニアを維持する代わりにプロイセンをポーランドに返還した。
一方で、スウェーデンは6年間のプロイセン船舶関税を認められた。メーメルからダンツィヒに至るプロイセンの沿岸都市に対して、スウェーデンが自由に関税をかけられるというものである。これは6年後の1635年に正式な講和条約であるストゥムスドルフの和約で失効する。
この6年のうちにスウェーデンはフランスやオランダと同盟して三十年戦争への本格介入に乗り出すことになり、それを関税が支えた。もちろん、プロイセンからすれば一方的な搾取に他ならない。
「あの野郎いつかぼこす!」と憤るギルベルトをなだめるのに何年も要したレイスも、スウェーデンの横暴さにへため息しか出なかった。
ちなみに、ギルベルトがスウェーデンをぼこせるのは大北方戦争まで半世紀以上待つことになる。