夢主と考える国際経済シリーズ
−東欧革命とビロード夫婦



欧州を地域ごとに分割すると、北欧、西欧、中欧、東欧、南欧と分かれる。
区分方によっては、中欧は西欧と東欧にそれぞれ配属されることもある。

後者で考えたとき、西欧の影で霞がちなのが東欧である。
先進国の西欧、安定した北欧、文化的特色の強い南欧と続き、東欧は大戦と冷戦による混乱が長く続き、どの面においても欧州の「僻地」といえた。
長らく文化も経済も、中心は東欧だったにも関わらずだ。

とはいっても、東欧が現在のようなほぼ完全な民族ごとの国家になったのは90年代後半からである。
基本的にはトルコやオーストリア、ハンガリー、ドイツ、ロシアの帝政によって服属下にあったのが東欧だ。

そのため、アルレシアが直接やりとりをしたことがあるのは僅かな国々であり、回数も多くはない。
それが急激に増えるのは、EUの進展と冷戦の終結を待ってからであった。



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アルレシアにとっての交流の長さで考えて古株は、東欧ではポーランド、リトアニア、チェコ、スロバキア、ハンガリーだ。
スイスとオーストリアは西欧カウントである。

もっとも早かったのは10世紀頃、ポーランドとリトアニアである。
当時、東欧最大の経済圏を誇ったポーランド・南バルト地域は、王朝の安定もあってアルレシアにとって農業品目の重要な輸入先であり、アルレシアの加工品の輸出先であった。

直後に繋がりを持ったのがチェコ、スロバキア、ハンガリーだ。
3人は互いに仲が良くなく、特にこの頃はチェコとハンガリーがスロバキアを巡り血で血を洗う大戦争をしていた。
しかもこのときのチェコとハンガリーは勇ましさの塊で、ハンガリーに至っては自らを男と思っているようだった。
オーストリアもまだまだ若く血気盛んだったが、欧州女子のそれには敵わない。

見た目こそ幼いため、アルレシアからすれば女児2人が男児を取り合う微笑ましい絵面だったが、歴史的には激変の中である。
しかも、ハンガリーは単に領地を拡大したいがためのようだったが、チェコはスロバキアを取られるのが嫌そうだった。その動機は押して図るに容易い。

森の中、チェコの「うるっさいのよこの蛮族が!」という罵声と、「お前こそ真冬のドナウ川で素潜りさせるぞバカ女!!」というハンガリーの怒声、そして「ふ、2人ともやめようよー…」というスロバキアの困惑した声が響いてきたものだ。

そんな3人からの農業品目をポーランド経由で輸入していたが、段々とチェコはグラスなどの工芸品の輸出も始めるようになっていた。
思えば、この頃からチェコはハンガリーより女子っぽさが出てきたように思える。

13世紀、モンゴルの侵攻によってポーランドとハンガリーが破れると、チェコは救援に駆け付けようとした。結局それは間に合わなかったが。
チェコに先駆けてモンゴルの一部をヴロツワフで倒したアルレシアは、そんな血気盛んなチェコにも一目置かれるようになる。

13世紀後半にはチェコは神聖ローマ選帝侯に選ばれてお嬢様路線になり、ハンガリーも落ち着いた。
15世紀、チェコは「フスの恨みよぉぉぉおお!!!」とプラハ市長や議員を市庁舎の窓から突き落とし、17世紀にも「カトリックは引っ込んでなさいよぉぉぉおお!!!」と帝国の役人をプラハ城の窓から投げ落としている。お家芸である。
その間にハンガリーはオスマンに侵攻され、現在のハンガリーやスロバキアもオーストリアの属領となった。

17世紀から18世紀にかけてはポーランドやリトアニアも没落し、チェコやハンガリーも30年戦争によって荒廃。
アルレシアとのまともな交易はここで一端途切れてしまう。

その後19世紀のオーストリア=ハンガリー二重帝国を経て、WW1後にチェコスロバキアとハンガリーが分離して独立、ポーランドもロシアから独立した。
バルト3国やバルカン諸国もこのとき独立している。

やがてWW2が終わると東欧は共産主義になり、1989年に相次いで民主主義へ移行した。
以降、アルレシアとの国交が回復していくようになり、EUに入るまで各国はアルレシアとの経済関係を強化していく。


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