夢主と考える国際経済シリーズ
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大戦が終わり、チェコスロバキアには亡命政府が戻ってきた。
彼らはドイツ人追放令を発布し、ドイツ人やハンガリー人ら数百万人の財産を没収し国外へ追放した。
1948年に2月政変が発生し共産主義化したがそれは継承され、周辺国から白い目で見られる。
このとき、まずチェコとスロバキアがお互いに不仲で、さらに2人ともドイツ、オーストリア、ハンガリーそれぞれと不仲だった。また、ハンガリーとドイツも不仲であり、リヒテンシュタインとチェコスロバキアは互いに承認し合わない最悪の関係となった。
泥沼である。

1969年、アルレシアは油田によって潤っていたとき、チェコスロバキアは「プラハの春」にともない周辺国から侵攻され連邦制となった。
しかし直後にスロバキア人政権が集権体制をとり、反共の立場をとる人々を拘束、処刑する恐怖政治やそのための警察組織の強化を図り、東ドイツに並ぶ最悪の警察国家になる。
このプラハの春を追悼するスペースを素通りして観光に勤しむ日本人に対して、チェコ人が反日感情を抱き、オランダと並ぶ反日国家となったのは有名な話である。
ちなみにスロバキアはしばらく「日本って…?」という認識だ。

そんなチェコスロバキアも、1989年に民主主義化が図られた。
穏便にことが進んだため、ビロード革命と呼ばれる。
再び連邦制になるにあたり、チェコとスロバキアの間にハイフンを入れるかどうかというハイフン戦争があったりもしたが、結局、ビロード離婚と呼ばれる穏やかな分離を果たした。

アルレシアはその直後、1994年に2人のもとを訪れた。



***



「よお、久しぶり…あー、ビロード夫婦?」

「「夫婦じゃない!!」」


フランスが隠喩したビロード〜という言葉は、2人にとっては文句を言いたいことであるようだが、顔を赤くされても説得力はない。
昔から2人の切手も切れない関係に生暖かい目を向けてきたアルレシアからすれば微笑ましい限りである。


「私、アルレシアさんのそういうところ好きじゃないですわ」

「俺も!」

つん、と同じタイミングでそっぽを向く2人。からかいたくもなる。

アルレシアは「へえ?」と呟きながらチェコに照準を合わせる。

「じゃあ、オーストリアのことは?」

「嫌いです」

「ハンガリーは?」

「大嫌いですわ」

「スイス」

「普通」

「リヒテンシュタイン」

「誰です?」

「アメリカ」

「…嫌い寄りですわ」

「日本」

「……嫌いです」

「自分以外嫌いだろ?」


にやりと笑って言えば、チェコは言葉に詰まる。アルレシアとしてはそんなに苛めたつもりはないが、スロバキアはそうは思わなかったようで、すっとチェコの前に立ちはだかった。


「別にいいじゃん、なんだって」

「んー?まあそうだなぁ…あ、そうだチェコ。スロバキアは?」

スロバキアの影から覗きこんで聞いてやれば、顔を赤らめたチェコがやはりそっぽを向いたまま、「嫌いじゃないわ」とだけ答えた。


「へっ、チェコ…?」

「っ、こっち見ないでくださる!?」


見ないでと言ってスロバキアが聞くなら歴史は変わっていただろう。
チェコを見て、スロバキアもアホ毛を揺らしながら照れまくった。


「…くくっ、お前らかっわいいなぁ!」


ようやく平和になった、そんな嬉しさもあって、アルレシアは珍しく純粋な笑顔で2人の頭を撫で回した。
昔から兄のように接していたアルレシアに、2人は懐かしさを感じながらされるがままになる。

その後、アルレシアにしては妥協の多い経済連携を結んだのも、2人にとってはくすぐったいことだった。

アルレシアはポーランドやバルト3国とも経済連携を構築し、EUに先駆けて東欧との経済関係を強化した。
2005年のアルレシア・EUFTAは、東欧とそもそもそのような関係にあったことがスピード妥結を導く。

1997年、チェコはドイツとなんとかドイツ人追放について合意し、2000年代にはスロバキアとともにNATOやEUに加盟した。
相変わらず両国は周辺、特にハンガリーとの仲が悪いが、それでも歴史的には最も平和なひとときを迎えたのだった。


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