夢主と考える国際経済シリーズ
−拡大とアジア通貨危機



EU統合の進展に伴い、欧州市場から締め出されてしまったアルレシア。
輸出はどんどん減ったが、EUからの投資は拡大し、貿易収支の黒字が少しずつ減り始めていた。ちなみに外国からの投資は平たく言えば輸入にあたる。
外貨準備高は潤沢だが、このままではイギリスのように通貨危機に晒される。

東欧との経済連携は進んだが、そもそも経済規模が小さい上にいずれEU加盟を目指しているのだ、長期的にはプラスではない。

そんな1990年代後半、アルレシアが目を向けたのが、東アジアだった。
そしてそこで、とんでもない事態を目撃することとなる。


***


その頃、日本や台湾、中国、香港、マカオを除く東アジア諸国は、自国通貨を米国ドルに合わせるドルペッグ制を採用していた。
当時の東アジア各国の経済はこうだ。


「げほっ…あぁ、やっと消費需要が高まってきましたかねぇ…バブル…恐ろしい響きです…」

世界に先駆けてバブルを弾け飛ばした日本。1989年にその発展と栄華は崩壊し、20年もの歳月が「失われ」ようとしていた。
しかしそれでも貯蓄は高く、純資産は世界トップクラスである。


「中国老師は本当に邪魔ネ…私も独立させてヨ!」

台湾は工業化によって順調に経済成長している。中央集権的だったために産業の各セクターは台湾政府に柔順で、意思決定が容易だ。中国からの圧力が強まっている。


「我も開放して投資呼び込むアル…工場造るヨロシ!安いアルよ!」

その中国は1978年からの改革開放によって市場経済へと移行しつつあり、各国の資本が中国へと向かっていた。一方で国内において資産は強固に管理され、通貨は国外との取引が不可能であった。


「私も…開放、するしかないか…」

同じく共産主義政府であるベトナムも、中国に続いて80年代からドイモイ政策によって市場経済を導入し始めたが、通貨はやはり管理され、証券取引所すらまだ置かれていなかった。


「そろそろ特別行政區になるし?先生に工場持ってかれるし?もう金融で攻めるしかない的な状況っしょ?」

1997年に中国の特別区として成立することになっていた香港は、中国に資本が移動し産業構造の転換を迫られていた。
ちなみにカレンシーボード制を採用しており、香港ドルを発行するにはそれに見あった額の米国ドルを発券銀行が持っていなければならない。


「私はミスターからのマネーで充分ですから…気にせず観光していってください」

同じように1999年に特別区になることが決まっていたマカオは、金融や経済よりはカジノなどの国際資本の誘致に力を入れており、そもそも発展しようという強い意志がなかった。通貨は香港ドルに対して固定している。


「外資で財布パンパンなんだぜー!外資ファンドマンセー!!」

ドルペッグのもと通貨安に導きつつ金利を高くして国際金融資本を投資されることで儲けていた韓国は、戦後日本から投資された財閥企業が外資に対して負債を立てていた。


「自分のところも外資でローン立ててもらって結構ですよ、金利高くしときます」

韓国のように通貨バーツをドルに固定していたタイは、外資金融によって国内の不動産でバブルが起きていた。成長率は9%、東アジアの中心的投資先だった。


アルレシアは普通に考えればタイに投資するのが無難だろうと考えていた。
マレーシアやインドネシアも同様の儲け方をしていたが、勢いが違う。

バブルが弾けた日本、まだまだこれからの中国やベトナム、中国の圧力がかかる台湾、特別区になる混乱が予想される香港やマカオは、投資するには心もとない。

ここは素直にアメリカに聞こう、そう思ってその広い背中にくっつくようにして聞いてみた。
オランダは大体こうするとなんでも教えてくれる。

「アルレシア!?まったく、君はほんとにあざといな!」

「は?」

「なんでもないよ!…投資先だっけ?悪いことは言わない、もう少し待った方がいい」


アメリカは素直に教えてくれた。その含みのある言い方に、アルレシアはすべてを察した。
まだ記憶に新しい、ポンド危機の再来だ。

そうなる要因を考え、アメリカがそれを引き起こすことに気付く。


「さては、利上げするな?」

「………、」


さすがに言えないか、と思いつつ肩甲骨に顔を押し付けるようにぐりぐりとする。こうするとオランダは聞いてもないことを喋りだす。


「〜〜〜!分かったよ!言うよ!…利上げは、する。ヘッジファンドが動いて、バーツとタイ経済は滅茶苦茶になるだろう」

「やっぱりな…仕方ない、アメリカ、そろそろ本気でFTA結ぼうか」

「本当かい!?よし、これで君(の市場)は僕のものなんだぞ!」

「はいはい」


東アジアに投資する前に、先に確実なところから。それでも遅くないようだし、アメリカへの輸出も伸びる。
1995年のことだった。


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