夢主と考える国際経済シリーズ
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ついにその時がやって来た。
1995年、米国利上げとドル高。
同時にドルペッグ制のタイ、韓国、インドネシア、マレーシアなどの通貨も高くなる。
1996年、タイは折からの中国への資本の移動による輸出減少とバーツ高が重なり、貿易収支が赤字に転落した。
貿易収支報告によってヘッジファンドは、タイとバーツがその価値に合わない実体であることを確認し、ポンド危機のときのような先物契約を結ぶ。
そして1997年5月、バーツは大規模に売り浴びせられた。
タイ中央銀行は必死にバーツを買い支えたが、外貨準備高が底をつき、ついに敗北。7月に変動相場制へと移行した。
半年でバーツは半分以下にまで暴落、血濡れのバーツと呼ばれた。
同じ状況にあったインドネシア、マレーシア、韓国の通貨も暴落し外資が脱出、タイとともにIMFの管理下に入る。
台湾は瞬時に国内を団結し危機を乗り切り、香港はカレンシーボード制のおかげで自動的に通貨安が 進むと米国ドルが刷られ香港ドルが高くなるようになっており、マカオとともに危機を免れた。
日本はリスク回避の逃げ先となり円高が 進行、中国とベトナムはそもそも為替取引がなく危機が及ばなかった。
しかしこれだけでは収まらない。
「うー…IMFさん、そんな引き締められませんって…」
タイやインドネシア、マレーシアはIMFに融資条件として構造改革と緊縮財政を強いられ、ますます国内消費が落ち込んで不況が長引いた。
「大丈夫ですかタイさん…!今お金を…」
バサッ、と、この3か国には日本から総額7000億円がばらまかれた。
「やばい…俺もう死ぬんだぜ…」
韓国も同様だったが、タイたちとは違い対外負債があり、日本と欧州にそれぞれ1兆1800億円、アメリカに4200億円、トータル3兆2000億円だった。
年末には韓国はデフォルト、すなわち債務不履行一歩手前まできており、借金返済の時期を遅らせられなければ国家破綻というところまで来ていた。
「皆さんお願いします、このままじゃ彼が死んでしまいます…!後生ですから、なんとか待ってやってくれませんか、」
日本政府は邦銀やアメリカ、欧州に説得にまわり、日米欧の負債繰延交渉を妥結に導いた。
こうして韓国はデフォルトを回避し、IMFのもと経済復興に乗り出した。
日本はこの危機に際して、東アジアの実体経済回復のため3兆円を拠出することを発表した。この他、人材育成や人道支援も行い、かつて大戦でアジア諸国に植え付けた「侵略者」のイメージをかなり払拭することに成功したとも言われる。
少なくとも東南アジアではそうだが、隣国には分かってもらえない今日この頃である。
こうして東アジアは通貨危機の中で、IMFだけだったらどうなっていたか、すでにIMFによって引き起こされた不況の長期化がどんなものだったかを思い知った。
それは東アジアの地域経済統合を各国に模索させ、タイやシンガポール、韓国をFTA外交に転換させた。
現在、東アジアではTPPとRCEP、日中韓FTAなどのメガFTAが進行中なのは、これに起因する。
そして、アルレシアの東アジア路線をさらに加速させることとなる。