夢主と考える国際経済シリーズ
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続いて交渉に入ったのは、微笑みの国タイである。トリッキーな外交で知られ、なかなかくせ者だ。
「私はこれまで焦点となっていた乳製品、果実、酒類、原産地規則、すべてアルレシアさんに合わせましょう」
盛んでない乳製品と酒類はいいとして、果実と原産地規則はタイにとって不利になる。
アルレシアは「それで?」と先を促した。あの微笑みには裏がある。
「知的財産権規定はなしでお願いしたいです」
やはりか、とアルレシアは眉を寄せた。
知的財産権とは、著作権のような分かりやすいものから、医薬品の特許など様々だ。そういったものの権利をどれくらい守るのか、という規定である。
WTO協定附属書1Cにおいて知的財産権はある程度規定されているが、まだまだそれは十分ではなく、むしろWTOに加盟していないアルレシアはそれが適応されない。
ジェネリック医薬品などを生産したいタイは、アルレシアとの間で知的財産権を規定したくなかったのだ。
先にタイが不利益が出るほど譲歩している中でのこれは、なかなかに難しい。
「…仕方ない、知的財産権は交渉を先伸ばそう。まずは先言ったことを確定しよう」
アルレシアはあまり使いたくない手を使わざるを得なくなり、ため息をつきたくなりながらそう言った。
その日のうちに、タイは乳製品、果実、酒類、原産地規則すべてでアルレシアの要求を飲む形で決定してしまった。
それに慌てたのは韓国やニュージーランドだ。タイが折れた以上、アルレシアは場合によっては折れない韓国やニュージーランドとのFTAを中断するかもしれない。
そうなれば、タイにアルレシア市場で負ける。
実は、アルレシアの宣言の狙いのひとつはこの状況だった。先に折れた国と決定することでそれに追随しなければならない空気を作り出すのだ。
タイはどう転んでも長期的には利益を受けられるため、微笑みも増すというものだった。
***
タイの次にやって来たのは台湾だ。他の国々は中国を怖れて台湾との交渉に応じようとしないが、アルレシアはその立ち位置の複雑性から、中国相手に喧嘩を売ってもダメージは少ない。
台湾はこのチャンスにかなり賭けている。
これまで交渉してきたなかで最も経済規模が大きい国だからだ。
「私もタイさんとの内容踏襲するヨ!他に何か要求あるなら何でも言うといいネ!」
必死なのか、もはや椅子に座っていない。アルレシアも苦笑せざるを得なかった。
「んー、じゃあ知的財産権をWTO以上のものにしようか。とりあえず医薬品特許は15年で。映画とかのコンテンツも著作権厳しくするからな。あとは全ての農業品目を関税ゼロにして、非関税障壁は75%カット。俺の国の衛生基準は維持。政府調達も70%は解放してもらおうかな」
「へっ…」
血も涙もない、と誰かが言った。
搾れるものは搾るスタンスである。
農業や非関税障壁は問題ない台湾だが、医薬品特許や政府調達はシビアだ。
15年はさすがに長いし、政府が行う公共事業を落札できる企業にアルレシア企業を加える政府調達の解放も非常に厳しい。
台湾は、国家としての価値と経済発展とを天秤にかけることとなった。
「迂闊なことは言うもんじゃねえよ、台湾。とりあえずタイと結んだ内容までは決定しようか?」
慈悲のかけらもないアルレシアの要求は、東アジアを震撼させた。
***
それから半月、オーストラリアとニュージーランドが交渉のテーブルについた。どうやら一緒に臨むらしい。
いいだろう、とアルレシアも受けてたつ。
「ワインについては、オーストラリアが乳製品の関税について同意したらいいよ」
「おう!俺は乳製品についてはもうちっと緩めて欲しいけどな!あと、牛肉と豚肉も関税撤廃してくんね!?」
そう来たか。
アルレシアは牛肉と豚肉に関して保護の声が強い。すでにアメリカからの輸出で相当弱っている上に、オーストラリアからも関税がなくなれば国内の酪農産業は滅茶苦茶だ。それこそ、ニュージーランドのワインなど霞むほどに。
ニュージーランドに利用されていることに気付いているのか分からないが、オーストラリアは「肉!肉!」と叫んでいる。うるさい。
「…分かった、乳製品はもう少し関税をなくして、無関税枠を増やそう、それでいいか?」
「おう!」
「それなら僕もワインは同意〜。あと、知的財産権も台湾ちゃんにつきつけた通りでいいよ、ってかあれくらいがいいよね〜」
ニュージーランドはこれにて同意した。知的財産権はオーストラリアもニュージーランドも利益を共にする国だ。
あとはオーストラリアの肉についてだけである。
「肉の交渉の前に、タイとの決定事項を受け入れてもらおうか、オーストラリア。あと肉については衛生基準を俺に合わせてもらうことが前提だ」
そう言うと、オーストラリアは言葉に詰まる。原産地規則や果実、果実酒についてのタイとの合意内容はオーストラリアにとって不利だ。
さらに衛生基準は事実上の非関税障壁であり、厳しいアルレシアの基準は受け入れがたい。
「…持ち帰る」
「僕は大筋合意で〜」
オーストラリアは協議続行、ニュージーランドは大筋合意。大きな成果だ。
さぁ、詰めに入ろうか。アルレシアは知らず、あくどい顔をしていた。