連載: cuddle eagle struggle−2
翌朝、伊吹は寮の生徒用のキッチンに来ていた。
時刻は午前6時、このくらいの時間に起きることには慣れている。特に、中3の後半はすでに母と2人暮らしとなっていたため、登校する前に自分の弁当を作るために早起きしていた。朝に強いタイプで良かった。
寮のキッチンは意外にも清潔で綺麗だった。生徒たちは食堂の給湯室ばかりを使っており、その隣にあるこの小さなキッチンはほぼ使っていないらしい。
そのわりにきちんと手入れされているため、とても良い環境だった。
コンロは三口、オーブンとレンジが別にあり、ヤカンや鍋、器具は一通り揃っている。さすがに調味料はないが、それは自分で用意してある。
川西にも言ったとおり、伊吹は決して料理が得意というわけではない。必要に迫られてできるようになっただけだ。いまだ、母のような手際でもない。
慣れてはいるので無駄こそないが、こうしたい、という理想を自在に再現することはできなかった。
ただ、せっかくなら趣味にでもしてみようか、と2つ並んだ弁当箱を見て思った。部活の時間が短い日曜などに本格的な料理をして練習するのだ。
こうして誰かに食べさせるために作るというのは、本当に久しぶりだった。
そうして作り始めて30分ほど、ちらほら匂いにつられてキッチンを覗いては不良たる伊吹の姿を見て逃げていくやつらに続いて、見知った人たちがやって来た。
「うお!伊吹じゃん!」
「瀬見さん、山形さん」
「なに?作ってんの?」
やって来たのは瀬見と山形だ。同室だという2人は、揃ってキッチンに入ってきて伊吹の手元を覗き見る。
「すげ!伊吹料理できんのか」
「できるだけっす。食堂高いし、購買混んでるし、きちんとしたモン確実に食うなら弁当かなって」
感心したようにする瀬見の隣で、山形は2つ並ぶ弁当箱に首を傾げる。
「2つ食うの?」
「そんな若利じゃないんで…川西の分っす」
「あぁ、太一のか。いーなー、俺も手料理がいい」
「ちょっと食います?余る分どうしようかって思ってて」
「いいのか!?」
パッと顔を輝かせた2人。余るおかずを食べて貰い片付けを楽にしようとするには、あまりに嬉しそうにされてしまった。
これから朝練に行くのだろうから、食べさせすぎるわけにはいかない。
「どれにします?」
「「肉!!」
声を揃えてご所望したのは、豚肉に梅干しとシソ、鰹節を和えたものだ。
要望通り、軽く和え直してからそのまま箸で豚肉を持ち上げる。それを山形に向けると、山形はなんの躊躇いもなくパクリと口にした。完全に「あーん」というやつだ。
いったい何をしているんだ自分は、と伊吹が内心恥ずかしさで呻いている一方で、山形は「うめぇ!」と暢気に咀嚼していた。
「伊吹、俺も」
「あー、はい」
瀬見に急かされて箸を渡そうとすると、瀬見はムッとした。そしてぐいっと身を寄せて顔を近付けてくる。端正な男前が眼前に迫る。
「ちょ、」
「食わせて。隼人だけずりぃだろ」
「男の嫉妬は見苦しいぞ英太!」
「うっせ!」
どうやら先ほどの「あーん」を自分にもやれと抜かしている。何を言っているんだ、と至近距離のイケメンを見上げるが、その強い目力に負けた。
「…どーぞ」
「ん、」
仕方なく瀬見にも取ってやると、瀬見は伊吹の手を掴みながら豚肉を口に入れた。体温が高いのか、包まれた手は熱い。
顔が良いため変にドキドキとしていると、別の気配が入り口に現れた。
視線を向けると、そこには若利が立っていた。
「若利?」
「…何をしている?」
「うげ、若利か。伊吹が弁当作ってっから味見してた」
不機嫌そうな若利を見て瀬見は取り繕うように言った。いったいどうしたのか、と思っていると、若利もキッチンに入ってきた。体格の良い男が3人もいると狭苦しい。
「伊吹、俺もいいか」
「え、あぁ」
つい、伊吹は箸で豚肉を取ってやはり若利の口元に運んでしまった。これは、癖だ。小さい頃から若利にやってきたので、単なる条件反射だった。
若利もなんの躊躇いもなく口に含み、もぐもぐとしてから「うまい」とだけ言った。すでに機嫌は治っている。
呆れたようにしている瀬見と山形を余所に、若利はひょいっと卵焼きを食べた。これも飲み込んでから口を開く。育ちが良い。
「ハヤシライス以外も作れたのか」
「離婚してからな。朝は自分でやってたし」
「そうか。お前のハヤシライスが一番美味い。また、楽しみにしている」
言葉が足りないが、それでも伝わるのが幼馴染というものだ。若利はマイペースにその場を立ち去る。見送った瀬見は首を傾げながら伊吹に尋ねた。
「何を楽しみにしてるって?」
「またハヤシライス作れってことです。俺、昔ハヤシライスだけは作れたんすよ、若利が作れって言うから」
「へえ〜」
家庭環境が複雑で孤独感を感じていた若利は、基本的に頼み事はしなかったが、数少ない伊吹に頼んできたことがそれだった。好物を頼んで作ってもらって、誰かと一緒に食べる、という一連のことを若利は望んでいたのだろう。
当時それが分かっていたわけではもちろんないが、伊吹は若利の希望通りにハヤシライスだけは作れるようになった。特別なものではないが、一番だと若利が言うのは、それは他ならぬ伊吹が作ったから、ということなのだろう。
「じゃあ、すげえ美味いんだな、きっと。俺も楽しみにしてるわ」
「俺もー!」
色々な機敏を察した上で明るく言ってくれた2人は、間違いなく優しい。若利の周りに2人のような人たちがいてくれて良かったと、伊吹は小さく笑って頷いた。