千年純愛−2
そして廊下に出た、その瞬間。
突如として、音が消えた。
放課後の部活動や残っていた生徒のざわめき、楽器の音や掛け声、そんなものがすべて聞こえなくなったのだ。
自分の耳がおかしくなったのかと思ったが、廊下を擦る上履きの音が届いて、耳に異常はないと分かる。
伊吹は辺りを見渡してみたが、誰もいない。
窓の外を見てみると、校庭には誰もいなかった。住宅街やマンション群がいつも通り建ち並んでいる。
強いて言うなら、やたら夕焼けが赤かった。赤紫色という方が近い。鮮烈なその色によって、影がくっきりと際立ち、コントラストがまるでイラストのようだった。
漠然とした違和感を感じていると、廊下の先に、何やら気配を感じた。振り返ると、真っ直ぐな廊下の30メートルほど先の床に、誰かが倒れている。
髪の長い女性だ。何かあったのかと駆け寄ろうとすると、女性は白い腕を前に突き出した。
そして、床を腕と足で這いずり始めたのだ。
その速さはとても現実的なものではなく、凄まじい速さでこちらへ近寄ってくる。得体の知れない姿にぞっとした伊吹は、すぐに踵を返して走り始めた。
「っんだあの不審者…!?」
学校で廊下を這う女など不審者以外の何者でもない。職員室に駆け込もうと上の階に上がり、職員室の扉に手を掛けたが、ガタリとするだけで開かない。
「は…?ちょ、すんません!誰かいませんか!?」
拳でノックしてみるが、暗い職員室には誰もいない。嘘だろ、と呟いてから、伊吹は今度は学校を出ようと昇降口に向けて走り始めた。
いったい何なんだ、と異常な事態に悪態をつくと、突然、廊下の窓が大きく音を立てて震えた。
「っ、!?」
窓を見てみると、僅かに震えながら、ガラスには手形がついていた。当然、周りには誰もおらず、3階のここに外から窓を叩ける者はいない。
気のせいか、と進もうとすると、さらに窓がドン、と音を立てて振動し、手形がついた。まったく、だれの姿も見えていないのに、手形だけがついたのだ。
「…いや…まさか、そんな、」
人ではない、モノがいる。
非現実的なそれは信じられるものでないが、先程の女といい手形といい、あり得ないことだらけだった。
尚更校舎を出ようと、伊吹は走り出す。
すると、追い掛けるように窓が次々と叩きつけられるように大きな音を立てて、手形がびっしりと廊下の窓を埋め尽くしていくのが視界の端に見えた。バンバン音を響かせる窓は、まるで怒っているようだ。
さらに階段を駆け下りて1階に着くと、左手から先程の女が這い寄ってきているのが見えた。
「なんッなんだよ…!」
幸い昇降口は右手だ。右に足を向けると、突然何かにぶつかった。誰かの背中だ。スーツ姿の男性のようだ。
誰かがいた、と一瞬期待したのもつかの間、振り返った男の顔は、口以外に何もついておらず、歯もないひび割れた口が無様に開いていた。
「っ、…!?」
もはや声も出せず、伊吹はその脇をすり抜けて昇降口に一目散に走る。ガラス扉に上履きのまま突進したが、鍵が掛かっていて開かない。内鍵なのにだ。
「は!?なんで、」
体当たりや蹴りも効果がない。
ふと、ガラス越しに、こちらを向く女が見えた。
咄嗟に脇に飛び退くと、這い寄ってきた女は頭から扉に衝突した。けたたましい音とともに揺れる扉は、それでも開く気配がなかった。