SS小話集−2


その瞬間、3人の空気が凍った。恐る恐る揃って振り返ると、ちょうど廊下を歩いていた沼井が通りかかったところだった。油断していた。大将も山架も教室は6組であるため、沼井のクラスである1組は遠いし、そもそも部活に直行していると思っていた。
大将に合わせて部活を見に行こうと、そしてついでにチョコをあわよくばもらおうと、3年生の進路が決まっているメンバーが登校していた。伊吹も沼井に渡すタイミングとなると思って当日に用意してきたわけだが、まさか廊下で出くわすとは思っていなかった。

沼井と隣を歩いていた広尾は、こちらを見て目を見張っている。同じく驚いて細い瞳を限界まで広げた沼井と二人揃って立ち止まっている。
止まっていた時を動かしたのは元主将たる大将だった。おもむろに「行こうかミカちゃん!」と言って肩を抱いて歩き出す。さらに広尾まで、「あークソ腹いてーからトイレー」と棒読みで言って反対方向に去って行く。


「な、ちょっ、大将さん、」

「あとはごゆっくり〜」

「頑張れ!」


大将はひらひらと手を振り、山架はそう励ましてくれたが、そういう問題じゃない。広尾に至ってはすでに見えなくなっていた。


「…ちょっとこっち来い」

「わっ、」


沼井に強引に引っ張られ、誰もいない教室に引きずり込まれた。空き教室ではなく3年生の教室で、ちょうど誰も登校していないクラスのようだった。薄暗く、エアコンをつけていないため底冷えした教室は寒々しい。
そして沼井は、そんな教室の壁に伊吹を押しつけた。


「…さっきの、本当か」


さっきの、というのが指すものは当然、「好きだ」と言ってしまった言葉だろう。ちょうどそこだけ聞かれるとは、伊吹は偶然に呪いたくなる。
しかし、真摯にこちらを見つめる柄の悪い元エースに、嘘をつきたくはなかった。


「……そうですよ。柄じゃねぇって、自分で一番分かってんのに、こんなモンまで用意してきて…引きますよね」


ぽす、とその胸元にクッキーを押しつける。ラッピングこそ変わらないが、中のクッキーはもっとも味のバランスに気を遣ったもので、うまくいったと思ったものだけを詰めていた。沼井はそれを受け取ると再度驚く。こんな不良が作るとは思わないだろう。

その袋を開いて、沼井は中のひとつを口に運んだ。ここで食べるのか、と思って見ていると、沼井はぺろりと指先を舐めて咀嚼する。至近距離でのことにドキドキとしてしまい目をそらすと、「うめぇ」という低い声が頭上から降ってきた。


「やっぱお前料理うまいのな」

「…どーも」

「俺好みに味付けたんだろ。器用だな」

「まぁ、そんくらいじゃなきゃ、好きになんねっすよ」

「ふは、そっか」


沼井は小さく笑うと、クッキーを近くの机に置いてから、そっと伊吹を抱きしめてきた。体温の高い沼井の温度がダイレクトに伝わってきて、その厚い肩に口元が来るような身長差はそうたいしたものではないはずなのに、包み込まれるようだった。


「…俺も好きだ、伊吹」

「……へっ、」

「心も腕っ節も強いのに、本当はすげー家のこととかで傷ついてて、でも俺らんことずっと支えてくれただろ。冷静で滅多に怒らねぇのに大将のやり方に文句言う他校のヤツにキレたり、さりげなく潜を教師の批判から遠ざけたり、そういうの全部、お前がまっすぐ俺たちのこと見てたからだ。俺はお前のそういうとこ、好きになった」


耳元で淡々と語られたそれに、伊吹はじわじわと沼井が本当に自分と同じ気持ちなのだと理解して、視界が緩む。
何か言わないと、と思って口を開いたが、声にもその揺らぎが現れてしまった。


「…今日で、沼井さんとの関係、終わると思ってました。気持ち伝えたら、ぜってー引かれると思って、でも、やっぱ伝えたくて。きっかけは山架さんだったけど、遅かれ早かれ伝えてたし、俺は、それを今までの沼井さんとの関係を全部過去のモンにする覚悟で……」

「伊吹……」

「…でも、やっぱ、嫌っす。沼井さんと話せなくなるの、嫌だ、そばに行けなくなんの、こわい、こわかった、です。好きです、俺、沼井さんのこと、好きなんです…!」


ぽろぽろと目から零れるものが沼井の肩を濡らす。息を飲んだ沼井は、より強く伊吹のことを抱き締めた。


「……もっと早く、俺から言うべきだったよな、ごめんな、男らしくなくて。チキったのは俺の方だ…伊吹、これからは俺が、お前のこと、大事にしてもいいか」

「…っ、今までも、大事にしてくれたじゃねっすか。だから、好きになったんすけど」

「ん、じゃあ、もっと大事にするな」

「これ以上大事にされるとか、俺がチョコだったら溶けてたんじゃねっすか」

「いいなそれ、ドロドロに溶かしてやるよ」


普段と同じようなものながらまったく内容は異なる会話をすると、俯くようにして肩口に目元を埋める。背中に手を回せば、後頭部をこの男の手つきとは思えないほど優しく撫でられた。

もうすぐ沼井も大将も卒業してしまう。それでも一緒にいようと思えば、ずっと一緒にいられる。そんな関係を今、こうして新しく作ることができた。まさか自分がバレンタインを忘れられない日にしようとは思っていなかったが、まったく悪い気はしなかった。



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