SS小話集−2



「入れよ」

「ざっす、山形さんもう風呂入りました?」

「おー。伊吹もか?」

「はい」

「そっか。あと伊吹、名前」


山形に促されて部屋に入り、扉が閉まる。同時に、山形は伊吹を抱き締めて、耳元で低く囁いた。甘い響きは決して部活や部屋の外で聞かせることのない「彼氏」のもので、がさつそうに見えてそういう使い分けをすんなりとしてしまう山形の男前さに何度か心臓が破れるかと思った。
二人のときは名前で呼べ、というように決めたのも山形で、この恋人モードとの切り替えに慣れない伊吹はどのタイミングで名前で呼び始めればいいのか分からない。こうして言われることもよくあった。


「っ、はい…隼人さん、」

「ん、いい子」


山形はそう言って伊吹の頭を撫でると、ベッドに一緒に倒れ込む。シーツにぼす、と沈み込み、仰向けになった山形の上に被さるように伊吹も倒れる。姿勢が変わったことで、4センチの身長差は体の位置がずれて大きくなり、逞しい胸板の上に顔が埋まる。
引き続き後頭部を撫でてくる山形の手つきに思わず目を閉じるが、ここに来た目的を思い出す。いつもは二人きりになるため、山形が一人部屋の伊吹のところに来るが、今日は瀬見が空けてくれたため伊吹から来たのだ。


「隼人さん、」

「おう」

「誕生日おめでとうございます」

「さんきゅ」


まずはそれを言うと、顔を上げて山形の精悍な顔を見上げる。その笑顔はいつもの快活なものではなく、愛しいものを見つめる甘いものだった。
それにドキリとしつつ、伊吹は「プレゼントなんすけど、」と切り出す。


「すんません、しばらく寮から出る余裕なくて、買えなくて…チョコとか甘いモンはたくさんもらってるだろうし…」

「別にいいのに。ま、確かにチョコとかクッキーはちょっときつかったな」

「…隼人さん、もらったヤツちゃんと食べるじゃねっすか。まぁ、そういうとこ好きなんすけど…」

「可愛いこと言うなってほんと」


山形は苦笑してわしゃわしゃとなで回してくる。
バレンタインと誕生日が同じだけあって、山形は大量のお菓子をもらう。山形はすべてを嬉しそうにするし、「こういうのは気持ちそのものだしな」と言ってきちんと食べる。食べきれないこともあるし、川西など他の部員にあげることもするが、少なくとも一口は必ず食べるのだ。
そういうところが伊吹は好きだった。


「…そんで、プレゼントどうすっかなって思って、その…なんか、して欲しいこととか、ありますか」

「して欲しいこと?伊吹に?」

「はい。モノ渡せねぇ代わりに、なんか行動で…って思って」

「なるほどなぁ。やべ、エロいことしか思いつかねぇ」

「…別にいいっすけど」


事実上、いわゆる「なんでもする」というやつで、当然というか、山形は疚しいことが最初に考えついたらしい。正直それで一向にかまわないと思うくらいには伊吹も山形が好きなわけだが、山形は苦笑して「いや、」と否定する。


「そりゃ、そういう『ご奉仕』してもらいてぇ気持ちもあっけど、明日も部活だろ。俺、そんなエロいことされたら多分止まんねぇから、抱き潰すと思う。だからまた今度な」


くすぐられるように耳元を指で撫でられ、ぞくぞくとしたものが背筋を駆け上がる。息を詰めた伊吹を見て山形は喉の奥で笑う。その雄っぽさに、本当にこのまま抱かれてもいいような気がする。
しかし山形は、ベッドの横の床に置いたリュックを姿勢を変えずにごそごそとかき回すと、何やら取り出した。小さな金属音をさせて出てきたのは、鍵だった。


「これ、受け取ってくんね」

「これ…鍵、っすか」

「そ。東京のアパートのやつ」

「え…」


驚いて視線を合わせると、山形はごろんと横になって伊吹の頭をその太い腕に乗せた。そして山形はその鍵を伊吹の手に握らせる。


「いとこが今年東京の大学卒業することになっててさ。別んとこに引っ越すんだと。入れ替わりに俺が入れるように更新手続きしてくれてっから、実はもう鍵もらったんだよな」

「…合鍵、ってことっすよね」

「そういうこと。ぶっちゃけ遠いけど、いつでも来ていいぞ。もし東京に進学するなら、来年からルームシェアできるとこ探すか」


握らされた鍵は二人の体温で金属の冷たさを失っている。しかし伊吹にはむしろ、それが熱く感じられた。
当たり前のように伊吹をこの先の人生に置いてくれている山形に、伊吹は漠然とした不安に包まれていた年明け以降の心が落ち着いていくのが分かった。春高には行けなかった白鳥沢だったが、伊吹はそれでもそれぞれの道を進んでいく3年生たちを見て、否応なしに時間は進んで、物理的な距離が発生するのだと目の当たりにした。そうした動揺が、驚くほど簡単に消えていく。


「隼人さんは、ずっと俺といてくれるんすね」

「当たり前だろ。別に男が好きになるわけじゃなかったのに伊吹を好きになったんだぞ、どんだけ好きだと思ってんだ」

「…なんか、俺がもらっちゃってますね。隼人さんの誕生日なのに」

「そうか?卒業しても来いよっていう、来年のお前の時間を寄越せって意味だし、やっぱ俺へのプレゼントだろ」

「……どうしても一緒にいさせてもらうって感覚になるっつーか」


そう言うと、山形は伊吹をぎゅっと強く抱き締める。胸板に顔を押しつけられた。


「俺こそ、若利とか英太とか太一とかに言い寄られてるお前に気が気じゃねぇし。何してでもお前を繋ぎ止めてぇんだよ」

「…はい。じゃ、俺も隼人さんにくっつきに行くんで。東京でよそ見しないでください」

「おう。いつでも待ってる」


きっとこれからは、もっと言葉にしないと簡単にすれ違ってしまう。だからこそ、言葉より雄弁に語るこういうプレゼントも大事になる。鍵をもらってしまった今日、伊吹から渡せたことになるのか微妙なところだが、理由などなくてもいいのだ。
理由がなくても一緒にいられるのが恋人という関係のいいところなのだろう。それが再確認できた2月14日だった。



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