SS小話集−目は口ほどに(井闥山)


井闥山2年マネ男主
佐久早×主


目は口ほどにものを言うとはよく言ったもので、マスクによって表情がほとんど見えない佐久早の感情を察することは、その瞳を見るだけで十分だと伊吹は思うようになっていた。

二年になっていよいよ佐久早の実力は全国区となり、三大エースとも呼ばれている。井闥山学院バレー部は佐久早を主力に全国大会常連、連続優勝記録も持つ強豪校としての歴史を着実に重ねているところだ。

そんな佐久早は、正直かなり癖が強い。一年の頃から期待の選手として学内で持て囃されていたが、その扱いは非常に面倒だった。


「ほら佐久早、ドリンク」

「…ありがと」


部活中、マネージャーとしてスクイズボトルを佐久早に渡す。そのボトルには、使わなくなったという佐久早のリストバンドをはめている。当然、バンドは緩くなっているが、学校の備品であるボトルにマジックペンで名前を書くわけにもいかず、こうして他と区別していた。こうした伊吹による配慮は、一年のときからずっと続いている。



一年生というのは、体育会系ではどんなにエースでもやはり下っ端扱いで、たとえ周りがそうでなくとも本人がそう振る舞うものだ。佐久早は比較的その限りではない方だったが、それでもあまり強く出ることは、少なくとも一年の頃はなかった。

そんな一年生のとき、佐久早が熱中症になったことがある。基礎練のときには頑なにマスクをつけ続けている姿に、同期も上級生も近寄りがたく思っていたため、様子がおかしいことに気づくのが遅れたのだ。
どうやら佐久早は、ボトルが他の部員と混ざって自分のものが分からなくなり、それを探したり新しく用意したりそれを求めたりということ自体が立場上煩わしかったようで、飲まないことを選択し、結果として熱中症になってしまった。他人の口がついたかもしれないものを飲みたくなかったらしい。

突然佐久早が倒れたとき、運悪く自主練中だったため顧問も監督もおらず、生徒しかいなかった。大きな音とともに倒れた長身に、上級生も動揺していた。


「飯綱さん、顧問呼んでください。古森、アルコール消毒持ってきて」

「お、おう分かった」

「任せとけ!」


先輩の飯綱、同期の古森、他にも何人かの部員に指示を出して、伊吹は持っていたスマホで119番通報をする。
『救急ですが、消防ですか』というオペレーターに対して「救急です」と述べたのち、すぐに学校の住所と体育館の位置を告げる。佐久早の様子を的確に述べている最中に古森がアルコール消毒液を持ってきたため、佐久早のシャツを脱がせてその逞しい体にぶちまけた。そして古森や周りの同期にタオルで扇がせて、伊吹も持っていたバインダーで扇ぐ。
別の同期に持ってこさせた、クーラーボックスの保冷剤もタオルに包んで脇の下に挟み込む。
アルコールは水よりも揮発性が高くすぐに蒸発するため、気化熱による表皮温度の低下を効果的に行える。保冷剤も大きな血管の集中する腰や脇に当てることで血管から温度を下げられる。

そうした応急処置をしていることも伝えた後、すぐに救急車が手配され、やってきた顧問とともに佐久早は病院に運ばれた。

後日、伊吹の処置は学校からたいそう褒められ、佐久早の母親からも感謝の電話があったのだが、伊吹としては佐久早の不調に気づけなかった自身の不備がどうしても気になってしまう。
その日から、伊吹は佐久早の潔癖症に対応するべく、スクイズボトルの管理を変えて、タオル・ビブスの洗濯や部室の掃除などもやり方を変えた。

さらに、先輩に絡まれている佐久早に適当な理由をつけて離れさせたり、校舎内で女子にベタベタとされる佐久早を呼び出したりといったこともするようになった。
そうしたことをわざわざ佐久早に告げることこそなかったものの、佐久早はそうした伊吹に行動に気づいており、やがて自分から助けを求めるようにもなっていた。
マスクに覆われた口元こそ分からないが、目が雄弁に「助けて」と訴えてくるのを見る度、伊吹は佐久早にあれこれと世話を焼いてしまうのだ。

そうして二年になった今、伊吹は佐久早と古森と同じクラスとなった。佐久早はなおさら伊吹のそばに来るようになり、部活や帰り道すら一緒になっている。もともと口数の少ない二人は沈黙も苦ではないが、同じくいろいろと気を遣える古森が明るい性格であることもあって、この三人での空気感というのは互いに最も落ち着くものだった。




ある日、伊吹と古森がトイレから出てくると、廊下で待っていた佐久早が別のクラスの女子に囲まれていた。


「背ぇたかーい!」

「バレー部のエースなんだよね!」

「手ぇおっきい!血管すご!」


きゃいきゃいと騒ぐ女子は恐らくクラスでもヒエラルキーの上層にいるのだろう。ベタベタと触られて、佐久早は鳥肌が立ったのか壁にぴたりを背中をくっつける。
トイレから出た二人に気づいたのか、伊吹を見て、佐久早はすぐに女子をかき分けてこちらに来た。そして、伊吹の手を思い切り掴む。思わず顔を見上げると、やはり黒い瞳が必死に「もう無理」と言っていた。
仕方なく、伊吹は佐久早を古森の方へやって女子たちの前にずいと出た。


「なんか用?」

「え……」

「あいつ、他人と話すの好きじゃねぇから。用がねぇなら話しかけんな」

「なにそれ、」


女子たちは食い下がろうとしたが、ここぞとばかりに伊吹は女子たちを思い切り睨み付けた。身長差があまりないからこそ、彼女たちは伊吹の眼光を至近距離で見てしまい、「ヒッ…!」と怯えた声を出す。
さらに舌打ちもつけば、完全に不良のそれとなった伊吹の態度に怖がって女子たちはクラスに足早に戻っていった。


「うっは、すっげー。にしても、伊吹の女子からの株どんどん下がるなぁ」


古森が感心したように言うと、佐久早はぴくりとした。そして、言いづらそうに口を開く。


「……悪い、そんなつもりじゃなかった」

「なんだ、お前そんなん気にすんの」


佐久早がそんなことで謝ってきたことが意外で、伊吹は小さく笑う。殊勝な態度を取った自覚はあるのか、佐久早はばつが悪そうにする。


「…他人からの評価とかもともとどうでもいいしな。それに、お前より大事なことって、そんな多くねぇ」

「おぉ…さすが伊吹」


そんな佐久早に対して正直なことを言うと、古森はなぜかそんなことを言った。意図が分からず首をかしげると、佐久早は若干顔を赤らめて「別に、それなら、いい」とだけ返した。
すると古森はニヤリとして、佐久早の前に出て下から覗き込んだ。


「にしても、伊吹の手ぇしっかり掴んでたな?」

「うっさいな」

「あぁ、そういやそうじゃん。お前平気なのか」

「……伊吹なら平気」


伊吹は思わず驚いて二度見してしまった。相変わらず佐久早は顔を少し赤くしていたが、古森も驚いたように目を丸くしていた。


「佐久早がそんなこと言うとはな〜」

「…なんつか、自分のテリトリーだと汚くないって思えんの」

「家族とか自分の手持ちのモンとかか。じゃ、伊吹は佐久早のテリトリーなんだな」

「まぁ…そうなる」


要は綺麗でなければならないというハードルが、自分に近しいものでは低くなるということだろう。どうやら伊吹は佐久早にとってそれだけ近いものであるらしい。


「…だから伊吹、伊吹もあんま他人に触れんなよ。汚くなる」

「お前の持ち物にでもなった気分だな」


自分のテリトリーにはハードルが低くなるということは、テリトリー外部に対しての警戒対象となることでもある。伊吹は今や、佐久早にとって汚れて欲しくないものとなっている。まるでペンすら貸そうとしない佐久早の持ち物になったかのようだったのでストレートにそう言うと、するりと頬を撫でられる。かさついた指先が通り過ぎた肌が熱を持つようだ。


「似たようなモン」


やはりその瞳は雄弁だった。愛しいというその感情を乗せた瞳に、心臓がドキリと音を立てる。遅かれ早かれその感情が行き着く先を察した伊吹だが、なぜかまったく嫌な気分ではなかった。



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