信じる覚悟−3
バレンタイン当日、伊吹は校舎内が思ったほど浮かれた空気ではないところに、この学校らしさを感じた。女子が少なく、その女子も互いに渡すか教師に賄賂のように渡すかで、男子たちも元から期待はない。
一般受験の茂庭などは今が最も大変な時期だが、就職の鎌先や伊吹は暇をしている。バイトも集中的に入れているが、鎌先は免許の種類を増やしていた。そして伊吹は宣言通り、卒業ギリギリまで部活に出ている。
秋のあのときはあんな態度だった部員たちだが、いよいよ本当に卒業の時期が近づくと、やたら伊吹に声をかけるようになっていた。そんな毎日のちょっとした一日でしかないバレンタインに、バレー部は少ししんみりとした面持ちである。
今日、伊吹はバレー部を引退する。
バレンタインだったのは偶然で、明日以降は伊吹が内定先の会社に行くことが多くなってしまい、3月になるとすぐに卒業式となっている。伊吹の最終登校日が今日だったため、奇しくもバレンタインに引退することになってしまったわけだ。
部活が終わり、最後の挨拶もさせられ、いつも通り部室でほかの部員に混ざって着替えた。伊吹自身があっさりとしていたからか、別にセンチメンタルな空気ではなかったはずだった。
「…あ、やべ」
つい癖でロッカーにジャージを入れてしまったが、ここを空けていなければならないため、伊吹はそれを鞄にしまう。事前に持ち帰っていたため、これでロッカーは完全に何もなくなった。それをなかなか閉めることができなくて見つめてしまったとき、後ろから鼻を啜る音がした。振り返ると、黄金川がハラハラと涙を流して泣いていた。
「えっ、お前、何泣いてんだ」
「…ッ、伊吹さん……」
前の泣き方とは違う。負けた悔しさや至らなさもあった前回と違い、伊吹が引退することへの純粋な寂しさだけだからかもしれない。
そんな黄金川の機微を全員が理解したからか、作並、吹上と続き、さらに小原、青根、女川と全員の涙腺が緩んでいく。こうして空になったロッカーで別れが形で見えたこともあるだろう。
さらにそこに、扉をやはり遠慮なく開けて滑津が入ってきた。滑津は泣いている男子たちを見てぎょっとするなり、理解したのか途端に顔をゆがめた。
ぼろぼろと涙を流し始めたのを見て、慌てて伊吹は滑津のところまで行った。
「滑津、」
「…伊吹さん……」
「あー…泣いてるとこわりぃけど、これ」
そう言って伊吹は手に持っていたものを滑津に渡した。実は昨日、滑津の家にお邪魔して、部員用のバレンタインクッキーを作っていた滑津に教わりながら伊吹も一緒に作ったのだが、その中の一部を滑津に用意していた。
無骨なただの透明なラッピングのクッキーを見て、滑津はさらにぼろぼろと涙を流し始める。
「っ、用意してくれてたんですか…?」
「まぁな。こんな愛想のねぇ先輩の下で頑張ってくれて、ありがとな」
「ぅっ、ふ、伊吹さぁん……っ!」
「さらに泣かせてどーすんスか」
それを見た二口は笑いながら滑津のところまで言って「泣き顔ガチじゃん」とからかうが、滑津のパンチも弱いものだった。伊吹と二口以外、全員目に涙を浮かべていて、それだけ別れを惜しんでくれる彼らに、伊吹はやはり悲しさや寂しさよりも嬉しさが勝ってしまう。泣いている彼らには悪いが、伊吹は少し笑ってしまった。
きっとここで「またすぐ会える」と言っても意味はない。
ここで、この伊達工バレー部で先輩と後輩として過ごすのはこれで最後で、それはこの先二度と戻らない日常なのだ。だから、伊吹はそれ以上何も言わなかった。