連載: cuddle eagle struggle−そんな始まりの日のこと


その後、3年がアイスを食べ終わるのを待ってからようやく寮に向かう。といってももう建物は見えていて、すぐに到着した。3年生は3階だという。誰もいないフロントで分かれることになったところで、伊吹は、購買からここまで切り出せずむずむずとしていたことをようやく口にした。瀬見のジャージの裾を掴み引き留める。


「あの、瀬見さん」

「んー?」

「…ありがとう、ございました。その、奢ってもらってしまって。なんつか、その、嬉しかった、っす」


あまり自分の気持ちを伝えるのは得意ではない。しかし、こうして帰路に寄り道をして奢ってもらって、なんていう、ありきたりなことが経験できるとは思っていなかった。


「…どこかで、言い訳にしてました。家のこと、特待生のこと、選手やれねぇこと、そういう他と違う事情があるから、普通の高校生活にはなんねぇって。だから、人間関係とか、ぶっちゃけ適当にするつもりで、それが楽だから、家のこととかをその言い訳にしてたんです」


普通の高校生のようなことができると思っていなかったし、その覚悟で寮のあるこの学園に入った。しかし、入ってみれば川西や瀬見たちがこうして距離を詰めてくれて、いつの間にか、マネージャーという立場ながら「普通の」一日を過ごしていたのだ。
それが、彼らの優しさによるものなのだと、受けいれてくれたからなのだと、理解していた。


「…楽しかった、っす。今日、一日。楽しいことばっかじゃねぇだろうし、大変なことばっかだろうけど。今日、こうして、受け入れてくれて、その、ありがとう、ございます」


ぼそぼそとした喋り方になってしまったが、伊吹はなんとか気持ちを伝えた。僅かな時間だが、きちんと誠実に向き合ってくれた彼らに、少しでも正直になってみたかった。


「ふは、マジで可愛いな、おまえ」


そう言うと、瀬見はわしゃわしゃと頭を撫でて来た。少し体が強張るが、山形ががしっと肩を組み、天童も後頭部をかき回す。


「おう!よろしくな伊吹!」

「期待してるヨ〜、ミスタージャーマネ!」


3人が気が済んでから離れ、3年生にかき回された髪を治しつつ、隣に立つ川西を見上げる。相変わらず無表情だが、なんとなく優しげなのは気のせいではないだろう。


「…川西も、さんきゅ。お前が後ろの席で良かった。気が向いたら勉強見てやる」

「ちょっと〜、俺だけ若干塩っ気あるんですけど〜」

「っるせ。じゃ、俺戻ります。お疲れさまでした」


少し素直になりすぎた。気恥ずかしさから顔を上げられず、ちょっと早口で言ってその場を後にする。どうせ食堂で川西と出くわすだろうが、今はすぐにここを離れたかった。そんなことも分かっているのか、4人は何も言わず「お疲れ」と言って見送ってくれた。それにむずがゆく思いながらも、1人部屋で良かった、と落ち着く空間が確保されていることに安堵した。


***


「なぁ〜んか、不良っぽいのに可愛いねぇ」

「ほんとにな!」


伊吹が去ったあと、天童の言葉に山形が勢いよく賛同した。瀬見も、「そうだな」と頷いた。最初に体育館に来たときは、若利の奇行に何事かと思ったし、幼馴染と聞いて若利からそんな人間的なことを聞くとも思わず、さらに強烈なサーブに刺激を受けた。まるで嵐のようにやってきたのが単なるマネージャーなのだ、驚きである。

伊吹はドリンクを作っていて聞いていなかったが、レギュラー陣の近くで、鷲匠監督はため息交じりに呟いていた。
「いったいどれだけの才能が、経済格差で潰れてんだろうな」
その言葉は、バレーだけでなく、あらゆる分野において才能の芽を潰すようなこの国の社会構造へのやるせなさが見えていた。
伊吹が教官室に鍵を返しに行っている間も、瀬見たちは部室棟の前で待ちながら、不思議な伊吹について話していた。

驚くほど整った顔立ち、それを近寄りがたく見せる目つきの悪さと柄の悪さ、レギュラー陣を前にしてもひるまず態度をでかく保ち、それでいて実力を見せつけた。たった一球でレギュラーそれぞれの特徴も見抜いていたことは、以降のサーブでしっかりと伝わった。口は良くなさそうで、事実生意気なこともよく言っていたが、いざバレーから離れれば距離の取り方に迷う15歳だった。

若利が暴露してしまった家庭の事情は、伊吹にはあまり大きなインパクトのあることではなかったようだが、選手を続けられないことは確実に伊吹の心に影を落としている。


「あいつがそばにいる。それならば、俺は伊吹をそばで支えるだけだ。一番つらいときに、そばにいてやれなかったから」


そう言っていた若利は、バレー以外のことはほとんど眼中にないのに、真剣なまなざしだった。本気で大切なのだ。
更衣室で話していた昔のことも聞いた。若利のことを支えていた伊吹は、果たして誰が見ていたのか。空手教室を開く夢を追いかけていた親が忙しく、伊吹はよく放っておかれていたという。

1人でいることを楽だと思い、それでもなんとかなるポテンシャルを持っていた伊吹は、こちらが放っておけば1人になろうとするだろう。でも、あれだけバレーに熱くなれるのだ、瀬見は伊吹にはきちんと輪に入って欲しかった。それはチームのためになるし、きっと、伊吹にも良いことだと思うのだ。
なんとかしてやろうだなんて大それたことは思わない。しかし、どこか不器用で、クールな顔立ちなのにわりと顔に感情が出る伊吹が、幸せそうに笑える場で自分たちがありたい、そう願った。




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