居場所−3
「おま、白鳥沢行くのかよ!?青城じゃねぇのか!?」
「……伊吹、」
話さないとどうなるか分かるね?という及川の圧力が上から降り注いでくる。岩泉も立ち上がり、10センチ近くに開いた位置の目線が厳しくなる。話さない限り帰れなさそうだし、もともと話そうと思っていたことでもある、伊吹は観念して口を開いた。
「……ウチの親、離婚するんすよ。この夏で」
「え……」
親が離婚する、世の中にありふれた話であっても身近ではないことだ。この場面で聞くと思っていなかった2人は、一瞬ポカンとする。そして分かりやすく表情が曇った。だがおかげで2人は冷静を取り戻したらしい。
「母さんと暮らすから、俺はいわゆるシングルマザーの家庭になります。なんで、全額免除の奨学金がない青城は高すぎるんすよ。選手はどの学校行くにしろできねぇけど、学校自体、経済的な部分で選びます。白鳥沢の特待生は学費も寮費も全額免除だから、家の負担少ねぇんす」
「じゃあ、この伊達工と烏野のパンフレットは…」
「伊達工は就職する場合、烏野は公立に行く場合を想定してます。バレーはマネでもいいから関わりたくて、ちゃんとやってるとこ選んでるんすよ」
白鳥沢は天才・牛島若利を擁する強豪校で、及川と岩泉にとっては鬼門だ。そんなところに行くなど不愉快で仕方ないだろうが、最もお金がかからないという点で魅力的だった。
それでも、こんな話を聞いて2人は嫌な気分であることは間違いない。及川はパンフレットを握る力を無意識に籠めているのか、くしゃりと光沢紙が音を立てた。
「…じゃあもう、バレーはやんないの?」
「はい。選手は少なくともできねぇって思ってます。バイトして勉強して、金稼ぎつつ学費減らしてぇから」
「……なに、それ……」
声を震わせる及川。怒っているだろうか。高校で伊吹とプレーするのを楽しみにしているといつも言ってくれていたのだ、こういう結果となって怒られるかもしれない。失望されるかもしれない。ライバル校に行くくらいなら、もう興味をなくすかもしれない。
この2人にそう思われることを想像すると、それだけで胸が張り裂けそうで、せめて予防線を張ろうと思って口を開いた。
「…すんません、こんな話しちまって。でも俺、どこ行っても2人のこと、応援、」
「ちげぇだろ」
遮るように言ったのは岩泉だった。意外にも冷静で落ち着いた声だった。その鋭い目はまっすぐに伊吹を見つめている。
「お前はどうしたいんだ」
「…だから、俺は母さんに負担かけたくねぇし、どうせ選手できねぇなら、マネやって安い学費のとこに…」
「そういうことじゃねぇ。親がどうとか、なんなら実現できるかとかすらどうでもいい。伊吹の、気持ちはどうなんだ」
岩泉の迷いのない質問に、伊吹は息を飲んだ。自分がどうしたい、などという考え方は、ほとんどしていなかった。母に迷惑をかけないようにすることが自分の希望だとすら思っていた。
しかし岩泉のすべてを見透かすようなまっすぐな目につられ、伊吹はあっさり理解してしまった。いや、見ないふりをしていただけの感情だった。
「……お、れ………」
「おう」
正面に立つ及川と岩泉は、怒るでもなく、伊吹の言葉を待ってくれていた。分かろうとしてくれていて、なおかつ分かってくれているのだ。
「…及川さんや岩泉さんと…一緒がいい、です…ほんとは、バレーやりてぇっす、一緒にやりたいんです…」
言葉にすると、自分が心に被せていた蓋が取れていく。それと同時に、目からも感情があふれた。
ぼろぼろと頬を落ちる水滴の感覚がどこか遠かった。
「…青城がいいです……一緒に、暮らしたい、父さんと、母さんと。離婚、してほしくねぇっす…」
「…うん」
及川の優しい相槌が落ちる。その大きく綺麗な手が、そっと伊吹の頭を撫でた。つい、伊吹の手が2人のシャツに伸びて、控えめに掴んでしまった。畳に落ちる水滴が黒くなって見えている。
「…さび、しい、です……ずっと、家族で、いたかった……!」
「つらいよね、寂しいよね。ごめんね、もっと早くそばにいてあげたかった」
そう言って及川は伊吹を抱き締めてくれた。目元を肩に押し付けられ、水色のシャツに水分が含まれていく。ガシガシと乱暴ながらも優しく撫でてくるのは岩泉だろう。
たとえ叶わない願いでも、内心にためておくより吐き出してしまう方がマシなのかもしれない、と思っていると、及川は「よし!」と明るい声を出した。体を離して見上げると、及川はいつものにっこりとした笑顔を浮かべる。
「あれだけ部活に全力出せたんだから、まだひと踏ん張り、できるね?」
「え…」
「俺と岩ちゃんも頑張るから、伊吹も頑張ろう。諦めて進路妥協すんのは、そのあとでも遅くないよ」