第四話: Völkerschlacht−6
第1魔法科大隊によるパリ解放作戦とライプツィヒ掃討作戦によって、欧州戦線における魔法科兵の脅威は去った。
そして、ライプツィヒを全壊させた伊吹の魔法によって、ティクリートを破壊した者の正体が明らかとなり、ロシアはいよいよ停戦に向けた交渉を開始するようになった。それによって、急速に世界大戦は終息に向かっていく。
まず大戦の始まりとなった中東では、ほとんどの国が継戦能力を喪失しつつあった。もともとイラン・トルコの枢軸軍とイスラエル・米軍・クルド人・サウジアラビアの連合軍がイラクとシリアで衝突していたが、欧州戦線の激化によって米軍の助けを失ったイスラエルはもはやイランとトルコへの追撃ができる状況ではなかった。
イランも極度に疲弊しており、国民は経済が破壊されたことで反政府運動を激化させて国内は混乱状態にあった。サウジアラビアも、反政府デモが内戦になりかけており、テロによって石油生産能力が通常時の3%にまで減少していたが、穏健派の国王が即位したことで落ち着きを取り戻していた。サウジアラビアはそれによってイランと正式に停戦した。
イスラエルは戦況が落ち着いたため選挙を実施したところ、さすがに国民も安定を求めるようになり、穏健派政権が成立、周辺国との停戦交渉を開始した。
そうした状況を見て、中東における中立国家として調停役を果たすことが多いオマーンが行動に出る。オマーンはイバード派というイスラームの宗派の国で、スンニ派とシーア派の中間のような教義を持つ。そうした特徴から、オマーンの首都マスカットでは停戦交渉が開始された。
戦争の始まりとなった中東が一気に停戦ムードになったことで、世界全体にそれが波及した。
もとから停戦していた極東では、シンガポールで終戦交渉が開始されたが、まずここにチベットとウイグルの代表は正体されず、さらにラオスとカンボジアがベトナムへの賠償を否定したことで険悪な雰囲気が漂っていた。
同じ頃、欧州戦線ではシェラン島沖海戦で連合軍とロシア軍の衝突が続き、リオン海海戦ではSLBMによるリヨン・ニース爆撃が始まった。トゥールーズを始めフランスの大都市や工業地帯が急速に破壊されていく中、フランスは核兵器の使用を検討。さらにロシア占領下のプラハで第二次プラハの春によって暴動が起こるとそれを鎮圧するため民間人が1500人以上死亡した。
こうした情勢から、米国と英国も核兵器の使用を検討し、フランスと合わせ三カ国でイスラエルに対してイスタンブールとセヴァストーポリへの核兵器の使用を打診した。しかしイスラエルはこれを拒否。さらにシェラン島沖海戦で連合軍が押されてロシア軍がスカゲラク海峡に到達すると、英国は北海からのSLBM攻撃を恐れ核攻撃を否認するようになった。ドイツも地対地核攻撃を恐れてこうした米国の姿勢に異を唱えたことで、ロシアは本格的な停戦機運を悟り、停戦を打診した。
中国は極東戦線の停戦によって、ウイグルとチベットの粛正に本腰を入れていたため、これをあらかた終えて満足しており、ラオスとミャンマー、カンボジア、タジキスタンの完全な中国化も成し遂げていた。それに満足してシンガポール会議に臨んでいた中国だったが、それに冷や水が浴びせられる。
中国へのさらなる弱体化をもくろむインドがチベットとウイグルへの支援にさらに力を入れ、トルコの躍進にトルコ系国家の再興を夢見た中央アジアの国々もウイグル独立を支持して行動を開始、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスがウイグルに入った。さらに、サウジからパキスタンに戻ったテロリストもウイグルに入り、新疆内戦はここに来て激化する。
ベトナムはシンガポール会議で悪びれないラオスとカンボジアに激怒し、両国に対して軍事行動を開始、プノンペン無差別空襲とビエンチャン爆撃によって数万人の死者が出た。混乱の中で中国はベトナムに取り返された南シナ海への侵攻を再開したが、フィリピンもベトナムに賛同して東シナ海への攻撃を開始する。また、ロヒンギャの扱いを巡って対立が先鋭化していたミャンマーはバングラデシュへの攻撃を行い、コックスバザール爆撃で数千人が死亡した。
ムスリム対中国の構造が明瞭になったことでインドネシアとマレーシアでは中華系住民への迫害が目立つようになり、中華系であるシンガポールは調停役を果たせなくなっていった。
新疆内戦によってトルコ系が躍進する中で、トルコはトルコ系であるアゼルバイジャンの解放をロシアに要求、ロシアは戦後のトルコとの関係を鑑みてそれに応じ、アゼルバイジャンから撤退。アゼルバイジャンは新疆内戦に支援はしたものの、それを横目にアルメニアに占領されているナゴルノ=カラバフへの攻撃を開始しアルメニアとの戦闘を始めてしまった。
チベットの聖地であるラサが爆撃を受けポタラ宮が半壊すると、チベット仏教を信奉するモンゴルもついに参戦、一方で東南アジアではミャンマーが半軍事政権である政府に対して暴動が起こり内戦状態に突入し、ラオスとカンボジアは早々にベトナムに降伏していた。
欧州と極東、中東でようやく停戦が始まったというのに中国周辺で突如として戦火が拡大したことで、僅か1週間で10万人が死亡する事態となり、日本はついにすべての関係者を東京に呼んで積極的な調停役を買って出た。
日本は中立国であるタイとも協力し、東京とバンコクで停戦会議を先導、ようやく世界は終戦へと舵を切った。