第三話: Qutadğu Bilig−6
近所の猯の家に行って事情を説明し、猯の許可も取ったことを告げて車のキーを借りてから、黒い軽自動車に乗って東九州自動車道へと向かっていく。
そうして車を走らせること2時間半、渋滞に掴まりつつも雲南は北九州市門司区にたどり着いた。どうやら空爆は終わり、爆撃機を飛ばしていた対馬沖の軍艦も沈められたらしい。警報は解除されていたが、依然として火災が海峡の両岸で起こっていた。
門司ICから一般道に降りた頃には空に立ち上る煙に指先が震えたが、門司区の市街地に入るとそれはなおさら強まった。
見慣れた日本らしい街並みは、突然潰された住宅や外壁だけとなったマンションに変わった区画が点在していて、道行く人々は泣いていたり誰かの名前を呼んでいたり血で服を汚していたりしていた。普段通りであろう街並みに突然そんな廃墟が現れるのは、空爆が散発的に起きていた証拠だ。
住宅街の先に見えていたはずの門司港の高層マンションは姿を消している。
恐慌状態の喧噪が包む街並みはあまりに普通の日本の地方都市で、これが東京や大阪のような大都市であればパニック映画などで見るような光景だったかもしれないのに、ただの小都市で起きているような出来事とは頭が理解しようとしていなかった。
恐らく、これが地震災害などであればもっと人々も落ち着いていたのだ。慣れてこそいなくても、よくあることであるためだ。しかし今は違う。これは、戦争だ。誰かが、この街に爆弾を落とすよう命じたのだ。それを国家がやったのだ。その異常さが、人々をここまで混乱させていた。
通り魔事件と地震災害を足してフィクション映画で割ったような感覚だろうか。
そんな市街地を北部へと向かい、ようやく崩落した関門海峡大橋が見えてきた。橋の真ん中で吊り橋が落下しており、橋梁はしっかりと立っていて支柱ロープも維持されているが、道路の部分だけが落下しているようだった。
その橋の根元にある公園に接した砂利の駐車場に車を入れて、ついに雲南は運転席から出た。初めてこの街の空気に触れたが、11月の乾いた涼しい空気に焦げた匂いが漂い、無数のサイレンがあちこち鳴り響き、ヘリコプターや海峡の船の音もそれに合流していた。
和布刈神社の方を見ると、古い鳥居の前にいかつい軍の車が停車しており、大きなバンに布で覆われた担架が運ばれていく。もはや救急車は命ある者にしか使われない。
鳥居から神社の境内に入れば、狭いそこには20人ほどが毛布に全身を覆われて横たえられていた。普段は神社の本殿や鳥居と巨大な関門海峡大橋とのコントラストが楽しめるまさに門司区らしい場所だが、今は軍人や海上保安庁の職員がせわしなく遺体や遺族の合間を縫って働いていた。
毛布に覆われた人々の足下にはナンバーが書かれており、乗っていた車のナンバーだと分かる。
「そっちの若いのはどうだ」
本殿の前で話しているのは国防空軍の管理職らしい。二人の男が深刻な表情をしていた。
「だめだ、川西も含めて半分はダウンして別の仕事に当たらせてる。そっちは」
「白布はバリバリやってるが、やはりこんなのは初めてだからな、若いのだけじゃない、みんなメンタルをやられてる。カウンセリングの手配が必要だな」
救助活動をしている中で、あまりの惨状に精神不調となった隊員の話をしているようだ。当然だろう、災害とは違い、上空から降ってきた爆弾が爆発して死んだのだ。その遺体がどんな有様が、想像を絶する。
ここに並べられた体も、いくつかは不自然に毛布が沈んでいた。体の一部が欠けているのだ。長い時間を水にさらされたわけではないため水死体特有のひどい見た目にはなっていないようだが、ミサイル攻撃が直撃したあたりにいた車の人たちはいったいどうなってしまっているのだろう。
雲南は恐る恐る、見つけた見慣れたナンバーに並ぶ4人のところに立った。深呼吸して吐いた息が震えていた。
体の頭側に移動して、毛布をそっと持ち上げる。オレンジ色の柔らかいそれがめくられると、あまりに青白い母の顔が見え、それが母だと分かった瞬間、毛布を戻した。
本当は理解していた。この2時間半、車を走らせながら、きっと家族がもう助かってなどいないことを。
それでも理解を拒否するかのように霞む頭では受け取る情報も少なくて、それが突然、母の顔を見た瞬間にクリアになっていった。自分が一人になったのだと、家族をいきなりすべて失ったのだと、唐突に頭が理解したのだ。