第三話: Qutadğu Bilig−11


今、目の前にいる国防軍の魔法科兵は伊吹の近くにいる者だろう。だからこそ、伊吹はこんなことを望んでいないと言った。しかし伊吹自身が気づいていないだけだ。一度この世界の秩序は再編されるべきなのだということに。


「伊吹が気づいてないだけ、ね」


桐生の言葉を聞いた優男はうっすらとした笑みを絶やさない。臼利も常に笑顔でいるタイプだが、さすがに不気味そうにしていた。


「お前が、気づかないフリしてるだけだろ。何を言おうとどんな大義名分をかざそうと、自分のしていることがただの殺人幇助だって」

「っ、」


桐生は息を飲んだ。その言葉はまっすぐに胸を貫くかのようだった。


「な、なに八さんこと知っちょるようなこと言いよん、」


臼利もこれには言い返したが、その声はいつもより覇気がない。ただの殺人幇助、桐生が内心で見ない振りをしていた事実を表現する言葉として、最も強いものだった。
金髪の関西弁も酷薄な笑みを浮かべて口を開く。


「ホンマそん通りやで。深圳、香港、バンコクでぎょうさん人殺して次は欧州でもテロかい」

「ッ、無差別な殺しやねぇ、次こそ人は選ぶ!」

「必要な犠牲やった、ちゅうわけか」

「…そうちゃ、仕方ねぇ犠牲やった」

「で?そうやって無差別に人を殺して得られた新しい世界秩序で伊吹は幸せになれるの?」


優男はなおも聞いてきた。伊吹は幸せになれるのかと。そうだ、と言おうとしたが、それを言う前に優男は言葉を重ねた。


「伊吹も同じ人間だよ。俺たちや、お前らと同じように。だから、同じように苦しむし、悲しむし、自分を責める。自分のために殺された人たちの上に作られた世界を見て、伊吹はどう思うかな?」

「…同じ……」


自分たちと同じ。その言葉はまったくもって当たり前だったはずなのに、ガツンと頭を殴られたような衝撃が走った。桐生が感じたことと同じことを、伊吹も感じるのか。
泣き叫ぶ母親の姿が脳裏にちらつく。並んだ遺体が、家族を失って塞ぎ込む雲南が、彼らに感じた自身の感情がよみがえる。
その苦しみを、自分たちは伊吹に負わせようとしているのか。


「考えてみなよ。もし自分が、誤ってティクリートの街を11万人の市民の命とともに吹き飛ばしてしまったら、どんな気持ちになる?」

「……、ティクリートの、怪物っちゅう、あれか…」

「そうだよ。今あんたが夢想したその感情よりももっとひどいものを、伊吹はずっと感じてるんだ。今もね」


伊吹がティクリートの怪物と国防軍で呼ばれるようになったのは、イニシャルセブンとしてティクリートを脱出する際に暴走して町ごと吹き飛ばしてしまったからだった。無実の市民11万人の命を奪ってしまった伊吹に追い打ちをかけるように国防軍は伊吹を怪物と呼んで蔑んだ。それは佐久早から聞いていた話だった。


「…同じ、人間……」

「…?八さん……?」


いったいどんな気持ちだったのだろう。イラクの平和のために活動していたのに、そのイラクの都市を消滅させてしまった罪の意識とは、どれほどのものだったのか。
その自責の念とともに、平和を願ったその手で戦場を戦ってきた。

その伊吹は、桐生と同じ人間で、同じようなことを感じるのだと、今、初めて理解した。様子がおかしいことに気づいた臼利の声で現実に引き戻される。


「八さん!しゃあねぇっスか!?」

「…臼利、」


気づいたときには、目の前にいたはずの二人は消えていた。恐らく、これ以上は情報が聞き取れないことを悟り、顔が割れた以上この街から去るはずだ。臼利の探査能力もあって、あの二人がイスタンブールにいてももう得られることはない。

湿気を帯びた夏の夜の空気に、近くの街灯にぶつかる虫の音が響いた。


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