第三話: Qutadğu Bilig−12
ウズベキスタン共和国・タシュケント特別市ミラバード地区。
声を震わせる雲南を支えながら、地面に倒れ込んだ猯は自分たちを見下ろす端正な顔立ちを見つめる。軍服姿ではなく、シャツにカーディガンというラフな格好をしている。銃すら持たず、しかしいつでも猯たちを殺せるよう警戒していた。
隣にいる大柄な男は恐らく牛島若利だ。世界で伊吹に次いで魔力量が多い魔法使いである。この二人が魔力を逆流させて壊れないシールド兵器などこの世に存在しないだろう。
北九州で会ったときのことを話す伊吹と雲南の声を聞きながら、猯はこれが朝倉伊吹か、とつい見つめてしまう。IMAの資料で姿を見ていたが、実物はもっと綺麗な顔をしている。そして目は意志が強そうだった。
佐久早も古森も、そして照島、百沢、雲南、桐生も、この男に崇拝に近い感情を向けている。それだけの魅力がある人物であるというのは話を聞くだけで分かってはいたが、猯にはどうしても、それなら彼らを、友人たちを救って欲しいと思った。
もともと猯がVASNAに入ったのは、雲南の様子がおかしかったからだ。
家族を失い、雲南は日に日にやつれて塞ぎ込むようになっていた。北九州で引き取った遺体は別府の親族がトラックを出して地元に帰しており、葬儀などが一通り済めば、雲南は地元でも「あの爆撃で家族を亡くした家」として知られるようになった。近所の人も親族も、そして猯と猯の家族も雲南を心配して気にかけていた。
それでも雲南は家に引きこもりがちで、無理矢理猯が連れ出そうにも自分とほぼ同じ長身は動かせるようなものではない。仕方なく一緒に食事をしたり話をしたりという程度になってしまったが、だんだんと雲南は、門司区で出会ったある人物の話をするようになった。
それが伊吹だった。名前と顔は一致させていたものの、あの現場で出会っただけの兵士だ。それなのに、実は世界で唯一の戦略核兵器級の魔法科兵であり、終戦後はIMAにその個人情報が詳細まで載せられた。テレビでも特集されていた。
そのため猯もよく知るところとなったが、雲南は個人的に伊吹に声をかけられ励ましてもらったその記憶に縋るようになっていた。そう、雲南はあの日の記憶に囚われたままで、伊吹にあの日言葉をかけてもらったことを何度もリフレインさせるうちに、記憶の中の伊吹に依存するようになっていったのだ。
それに目が曇ったのか、優しく気にかけてくれる親族や近所の人に気づかず、雲南は伊吹にいわばのめり込んでいった。それを助長したのが、たまたま声をかけられた東京の大将という男に誘われて入ったVASNAだったのだ。
大将も伊吹に心酔する人物らしく、もともと雲南の取引先の同期だった。仕事の関係からプライベートの友人になっていたそうで、あるとき二人とも伊吹への並々ならぬ感情を持つことが分かって、VASNAに加わった。
大将は優しい人物だったが、とはいえ雲南が何か一つの考えに傾倒することは危険だと感じた猯は、その様子を見て雲南が冷静さを保てるように一緒に仲間に加わった。
最初は雲南だけだったのだが、雲南が誘った桐生、そして桐生を頼っていた臼利もVASNAに入った。桐生は北九州空爆で多くの命を助けられなかったことにひどく苦しんでおり、魔法なら多くを助けられると信じて、その魔法の最大の使い手である伊吹なら不条理な世界すら救えると信じていた。それもまた依存の形態の一つだろう。
臼利はそんな桐生を心配してVASNAに入ったようで、猯と同じ立場だった。
しかし臼利は、高校時代から桐生を強く尊敬していた上に自分が桐生を助けられないと理解しているため、どうにもできないまま逃げるように傾倒していく桐生を見守ることしかできず、やはり苦しんでいるようだった。
「猯さん、俺にはどうにもできねぇっス、すみません、すみません…!」と言って泣いて縋ってきた臼利に、「桐生んことも見ちょるけん、心配すんな」と返したものの、猯にだってどうにもできない。
家族の死に苦しんで伊吹の存在そのものに依存する雲南、助けられなかったことに苦しんで伊吹が世界を救えるという希望に依存する桐生、そして桐生を救えないことに苦しんで伊吹にみんなを助けて欲しいと願う臼利。誰もが苦しんで、誰もが救いを求めている状況を、猯は見ているしかできなかった。
どうにもできないという事実が、猯のことも苦しめていた。
大切な友人が、ライバルが、後輩が苦しんでいるのに何もできない無力さ。八方塞がりの中で、猯もまた、伊吹に対して救いを求めていたのかもしれない。それが勝手な希望であり伊吹にとってははた迷惑なことだと理解していても。