第三話: Qutadğu Bilig−13
猯はちらりと自身が構築した孤立空間魔法を見遣る。すべての通路への出入り口を塞いでいるが、地上や地下鉄ではもう警察が来ていてもおかしくない。これが魔法だということもじきに分かるだろう。
もともとは誤って市民が通路に入ってきて巻き込まれないようにするために、咄嗟に猯が展開した魔法だった。しかし今や自分たちの首を絞める。逃げられなくなってしまった上に、ここはタシュケントのターミナルだ、もう警察や軍が来ているはずなので、この魔法を解いてもバレる。
よりにもよってこの二人がタシュケントで猯たちをターゲットにしていた時点で詰んでいたのだ。どうせ捕まってしまうのなら、猯も言いたいことを言ってやろうと思った。
「…あんたは、責任取っちくれんの、朝倉伊吹」
「責任?」
伊吹と雲南、そして牛島もこちらに目線を向ける。もう雲南は伊吹にまた会えたことでどうでもよくなっているようだ。猯から体を離してなんのことかと眉をひそめている。
「なに言いよんの」
「雲南がこうなったんは朝倉伊吹の言葉がきっかけやけん、責任取るべきちゃ」
「雲南がこうして俺に依存するようになったのは俺のせいだっつーことだな」
伊吹はさすがに頭が良く、すぐに猯の意図するところを理解した。こんなものは言いがかりにもほどがあると分かっている。しかし、そう言わずにはいられなかった。
「雲南も桐生も、苦しいときにお前に救いを求めちょったけんVASNA入ったんちゃ。でもどうにもならんかった。だけん臼利も憧れの桐生んこと救えやん言いよっち苦しんで…みんな、みんな苦しいんちゃ…苦しいけん、あんたに依存した…」
「それはお前らが勝手にそうしただけだろう。自身の弱さを転嫁しているだけだ」
猯の言葉に対して牛島が冷たく言った。それは端的に事実だ。世界中で多くの人が苦しんでいる。勝手に伊吹に依存して勝手に伊吹のためと言ってテロリストになっているのだ。
牛島のストレートな言葉が刺さって、猯は顔を上げられない。しかし、伊吹が口を開いた。
「別に、俺に依存してぇなら依存してりゃいい。勝手にしろ」
「え……」
意外な言葉に猯も雲南も伊吹を見上げる。伊吹は真剣な表情で、しっかりと雲南を見つめた。
「あんたはどうしたいんだ、雲南恵介。俺に、どうして欲しい」
「…どうして…欲しいか……」
「あぁ。俺に、何を求めてる」
「………助けて、欲しい」
「…それは、俺じゃないとだめなことなのか」
はっきりとしているはずなのに、こうして問われるとなんと答えればいいのか分からなくなる。雲南は自分でも曖昧な様子で助けて欲しいと言ったが、伊吹はばっさりとそう聞いた。だからこんなことをしているのだ、と言おうとした猯だったが、その前に伊吹が言葉を続けた。
「あんたの隣にいる猯望は?助けようとしなかったのか」
「…猯は、いや、俺んことも、桐生も臼利も、助けようとしちくれちょった」
「だろうな。俺はあのとき聞いただろ、一人なのかって。でもお前は言葉にしなくても、あのときは一人じゃないって分かってたはずだ」
雲南だって最初はちゃんと分かっていた。それでも、一人の時間が長くなる中で、どんどんその思考は家族の死とそれから目をそらしたいという本能に侵食されていった。
「弱ってるところに都合良く、VASNAがいた。それだけだろ」
「っ、」
「あんたが弱かったんじゃねぇ。誰だって、家族亡くしたところに都合良くハマれるモンがあったらハマるだろ。そんで、猯や他の人たちのことにも気づけなくなってたんじゃねぇの」
図星だった。きっと猯がそう説得しても雲南は納得しなかっただろうが、伊吹が言葉にしたから、雲南も正面から受け止めた事実だった。
「でもさ、あんたがそうやってVASNAにのめり込んでいって、友人だっつー桐生と後輩の臼利も苦しんで俺に依存して。そんなお前らを一番助けたかったのは誰だ?助けられなくて苦しんでたのは、誰だと思う」
伊吹の言葉を聞いて、ゆっくりと、雲南は猯の方を向いた。
猯は伊吹の察する能力の鋭さに驚いた。今までの情報を総合して、猯の置かれた立場まで理解したらしい。
当然誰にも言ったのことのない、自身の内側に抱え続けてきた苦しみを、雲南が理解した。目を見開いた雲南に、猯はどう反応すればいいのか分からなくなる。
「俺に救いを求めて、俺のために新しい世界の秩序を作ろうだなんてすることより大事なことがあんじゃねぇのか」
「……、」
雲南も猯も黙り込んでしまう。伊吹によって直接事実を告げられ気づけていなかったことに気づいた雲南は、まるで目が覚めたようだった。
そして猯も、ずっと抱えていた苦しみを理解して明らかにしてもらえたことで、なぜか泣きたくなるほどの安堵が心に広がっていくのを感じた。別に伊吹は味方をするとも救ってやるとも言っていないのに、猯は今この瞬間、一人ではないのだと思えた。理解してくれる、それだけで、苦しみそのものから放たれたかのようにすら感じられたのだ。