第三話: Qutadğu Bilig−15
「いったいなぜ勝手にこんなことをしたんだ」
ホテルのベッドに腰掛けた伊吹に対して、立ったまま牛島はそう苛立ちも露わに言った。
猯たちから一通り話を聞いてから二人を向かいのホテルに帰したところで、牛島は扉に鍵をかけてから開口一番にそう言った。伊吹は牛島がそう言うのも理解はできるため冷静に返す。
「勝手も何も、Secretの隊長は俺っすよね。それに、すでにバンコクのテロでも照島に同様のスパイをしてもらっています…まぁ、あれは成り行きでしたけど。照島のことはすでに武田さんに報告済みで許可も得てます」
「雲南と猯のことは許可を得ていないだろう」
「一定の決裁権を与えられた立場っすけど」
「これはそれを超えているという話だ」
牛島の表情は硬く、声も咎めるような色だった。牛島にこうして言われることはなかったため、伊吹はつい肩が竦みそうになるのを必死に抑えた。単にプライドというのもあるし、とにかく情報が欲しい今、二人を無理矢理警察に突き出すと言いかねない牛島を何とかして説得する必要がある。
「照島のときに結果的に認められたんすから、武田さんだって情報の有用性を重視してるってことっすよね。実際、VASNAに対してこちらは圧倒的に情報が少ねぇんすから」
「守るべきルールや規律があるだろう」
「そのルールは人を守れるんすか」
どうしても規律にこだわりたいらしい牛島に、伊吹はついにイライラとしてしまい立ち上がる。当然、身長差があるため目線が揃うことはないが、少し距離があるためあまりそれを感じなかった。二人とも一等陸尉であることに変わりなく、今の作戦行動では伊吹が上官だ。
しかしもともと軍人でなかった伊吹にとっては、そんな規律だなんだということに重きは置いていない。もちろん軽んじるつもりもないが、それより大事なことがあると判断したのだ。
「もっと情報があれば、バンコクで85人が亡くなることはなかった。今も、欧州で大規模なテロがあるかもしんねぇのに、それがいつ、どこで起こるかも分かんねぇ」
結局、猯と雲南も欧州でのテロは詳細を知らなかった。そのため、最も重要な日時と場所はいまだに分かっていない。
「またたくさん人が死ぬかもしれないんすよ。いや、人数なんて関係ねぇ。一人でも助けられるなら助けるべきです」
「それとこれとは別だろう。ルールを守りながらでもできるはずだ」
「その間に誰かが殺されたらどうするんすか」
「全員を救えるわけじゃない!いい加減にしろ伊吹、VASNAに感化されたのか。世界のすべてを救えるとでも思ってるのか」
その牛島の言葉に伊吹は息を飲んだ。まったくそんなことは思っていなくて、それを牛島も分かっているはずで。それなのに牛島からこんなことを言われるとは思っていなかったため、驚いたのだ。同時に、じわじわと自身の心が負った傷に気づき始める。
牛島も今のは言い過ぎたと気づいたのだろう、ばつが悪そうにしながら「すまない、今のは言い過ぎた」とだけ言った。
「……魔法使いが人を救うのを諦めたら、ただの怪物じゃないすか。俺は、誰かを救うために魔法を使いたい。敵国に勝つために魔法を使うのは、もう嫌なんです…」
「…気持ちは分かる。だが、あいつらが本当にスパイとして動くか保証もないのに、規律を破ってまで勝手に判断するのはいかがなものか」
「そうでもしねぇと、人を助けるために必要な情報が入らない。今必要なのはとにかく、誰かが傷つく前に先回りできる情報です」
「……埒が明かないな」
「…はい、無駄っすね」
冷静にはなった。しかし平行線なのは変わらなかった。牛島とこうしてぶつかるのも、心ない言葉をぶつけられるのも初めてのことだったため、表向きは落ち着いているが内心はぐるぐると混乱していた。
VASNAに感化されたのか、なんていう言葉は、伊吹をテロリストと同じ考え方をしているとみなしているのと同じだ。ショックを受けたことをごまかすように、伊吹は胸元に手を当てた。