第四話: Gott ist tot−9
しかし男は、伊吹を見てうっすらと笑った。不気味なそれにぞっとしたその瞬間、男は口を開く。
「Gott ist tot.(神は死んだ)」
ドイツ語のそれは、哲学者ニーチェが述べた20世紀的価値観の宣言である。神という超越した存在や、超常現象の類いを否定することで、現実として存在する課題を認識できるよう、宗教によって科学が曇る従来の価値観を否定するものだった。
いったいなぜこの男が最後にそれを言ったのかは分からない。しかし、そう男が言った途端に、男はすべての魔力を魔法兵器に注ぎ込んだ。
「なっ、」
伊吹は慌てて止めようとしたが間に合わない。今ここで爆発する、そう思って体の内側が冷えたが、屋根の上に男が倒れただけで魔法兵器は爆発しなかった。目をつぶることこそなかったが肝が冷えた伊吹は、知らず詰めていた息を吐き出す。
「急性魔力欠乏…でも、起動してないってことは、魔力量が足りなかったのか…」
「そのようだな」
倒れた男は急激に魔力を失ったことで気絶している。すぐに死に至るだろう。残念ながらこの状態から回復する術はない。
しかしそれでも魔法兵器は起動しておらず、爆発しなかった。とはいえ、足りなくても魔力そのものはこの兵器にすでに注入されている。
伊吹は可視化魔法によって魔法兵器の様子を窺った。丸い鉄の塊のような形をしたそれはリュックの中で沈黙している。しかし、じわじわと魔法式が展開されつつあった。なんと、魔力量が足りなかったためにそれに見合う魔法式の大きさで展開されようとしていたのだ。
「ッ、そういうことか…!」
つまりいつ爆発してもおかしくない。魔法式の大きさは魔法の影響範囲に比例する。どんどん空中に広がっていく魔法式は、すでに直径50メートルの円に発展していた。
伊吹は即座に魔法兵器をリュックごと風気魔法で浮かせると、一気に上空へと飛ばした。爆風が市街地を破壊しないよう、魔法式が大きくなるのに合わせて兵器を上空へ高く上げていく。それをコントロールしていると、電車は次のザヴィニー広場駅に到着した。
「っ、牛島さん、屋根に」
「分かった」
牛島は伊吹を抱えると、二人で電車の屋根からホームの屋根に飛び乗った。落書きのされた古いレンガの壁がホームの線路を挟んで反対側にあるのが特徴的な駅だ。電車が接近していた時点で二人が見えていたホームの人々が駅員を呼んだためか、駅員がホームから注意してくるが、それどころではない。
傾斜するホームの屋根で牛島に支えてもらいながら、風気魔法で起こした風から兵器が落ちないよう気をつけて高度を上げた。あまり高すぎると今度は風圧で街に被害が出てしまう。それを計算しながら、上空の兵器に向けて左手をかざして魔法を維持した。牛島は伊吹を支えつつ、ホームにいる初老の男性駅員に事情を説明している。私服であることもあって信じてもらえていないが、G10を狙ったテロを警戒して派遣されたという説明にだんだんと怯えた表情になっていった。
その次の瞬間、ついに魔法が発動した。一瞬眩く光ったかと思うと、上空数百メートルで巨大な爆発が起き、遅れてその爆音が市街地に衝撃波とともに叩き付けてきた。上から押しつぶすような衝撃波に、空気も建物も揺れて、REの架線が揺れる音やガラスが割れる音、さらに悲鳴とともに、車が衝撃波で揺れたことで防犯ブザーが作動して町中から車のブザー音が響き始めた。
ホームにいた人々も悲鳴を上げてしゃがんでから、上空に発生した爆煙を見て口元を手で覆ったり頭を抱えたりして驚く。駅員は腰を抜かしたのかホームの床に手を突いていた。
なんとか街中で爆発せずに済んだと思ったのもつかの間、今度は東の方向から複数の爆発音が聞こえてきた。駅周辺の建物に遮られて見えないが、ブランデンブルク門の方からと、さらに連邦首相府の方からだ。恐らく、この巨大な爆発は失敗前提だったのだろう。何らかの形で失敗したのを確認したら、市街地に展開するテロリストたちが一斉に行動を起こすといったところか。
すぐにイヤホンに通話が入る。
『こちらエリアC、ベルリン大聖堂前の公園で爆発、犠牲多数、戦闘に入る』
まずは昼神で、博物館島にある大聖堂で爆発が起きたとのことだった。警戒されていた観光地のはずだが、やはり魔法テロの前に通常の警戒は無意味だ。犠牲者が出ていると聞いて、分かっていたが避けられなかった犠牲に唇を噛みしめる。
さらに今度は木葉の声が聞こえてきた。
『こちらエリアB!ウンターデンリンデン通りで衝撃魔法が展開されて被害甚大!ツッキーの防御で人的被害は抑えたけど激しく交戦中!』
続いて松川の低い声もすぐにイヤホンから聞こえてきた。背後では爆発音がひっきりなしに響いている。悲鳴も悪い音質で割れて聞こえてきた。
『エリアD、中央駅南から連邦首相府に向けて攻撃が始まった。スウェーデン軍の魔法部隊と交戦中、一部はティーアガルテンから首相府への攻撃を開始してる、こっちはイタリア軍と戦ってる。俺たちは中央駅の西、ベルビュー駅周辺で始まった攻撃に反応する』
「……各員の状況了解。エリアCに加勢する。牛島さんはエリアBへ」
「…承知した」
一斉にミッテ区でのテロ攻撃が始まったため、すべての交通機関が閉鎖されるだろう。牛島とともにブランデンブルク門へと飛んで、そこからそれぞれ南北に分かれて加勢する形だ。ここまで来たら一緒に行動する必要もないため、ここに来て別行動となる。
テロが起きると分かっていながら今日この日にベルリンで首脳会談を行うことも、テロの危険を情報流出を警戒して大半の関係者に伝えなかったことも、伊吹の案だ。しかし今、その伊吹の計画によってすでに犠牲者が出ている。
その事実が心臓の動きすら緩めているのではないかというほど重くのしかかってきたが、それでも伊吹は隣の牛島と離れることを選んだ。
今はそれどころではないからだ。もしこの計画が間違っていたのだとしても、今はこうして起きたテロを解決する以外に方法はないのだ。できれば、桐生など主要幹部を捕らえたい。
それに、と伊吹は内心で自嘲した。
気まずい関係になっている牛島に、こんなときだけ頼ろうなどとは虫が良すぎるだろう。