第一話: Persona Non Grata−3


世界大戦の始まりは、誰にとってもそれが世界大の戦争になるとは思っていなかった地域紛争だった。
引き金をひいたのは、国を持たない世界最大の民族・クルド人の独立運動だった。トルコを最大とし、イラン、イラク、シリアに跨がって民族が分断されている彼らは、最も自治を確立したイラクでは独立運動を、トルコやイランではテロを行った。
それに対して、トルコとイランは共同でイラク領内のクルド人への越境攻撃を開始して、クルド人がこれ以上両国の国内でテロを起こさないようにした。
それは、両国それぞれが選挙を睨んで対内的なアピールとしていた側面もあっただろう。

イラクとシリアで活動していた国連のPKOであるUNIASSM(ユーニアスム)は撤退を余儀なくされ、その隙間を縫うように様々な勢力が跋扈した。
イラクのシーア派政権はイランに同調する姿勢を見せており、やがてイラクやシリア領内にイランの息が掛かった軍事基地が建設されるようになると、イランと激しく敵対するイスラエルが予防戦争を始めた。

ガザ地区とヨルダン川西岸地区を占領したイスラエルは、シリアから占領していたゴラン高原に軍を展開させ、ダマスカスへのミサイル攻撃を開始。ダマスカスにいたPKOが攻撃を受けて各国の軍人や文民に犠牲者が出た。
このとき死者が出た日本はイスラエルに対して米国の同盟国ながら異例の非難声明を発表し、一切の支援を否定した。

一方で米国はイランの伸長を良しとせず、大国化を恐れるサウジアラビア、クウェート、バーレーンは米国とイスラエルの側に立った。しかしアラブ人にとって敵であるイスラエルへのそうした姿勢に疑問を抱いた者たちは、アラビア半島においてテロ活動を活発化させていく。

イラク国内でも、イラン寄りの姿勢を見せるバグダードのシーア派政権に反旗を翻したスンニ派が、スンニ派多数地域であるアンバール県の県都ラマーディーに政府を構築した。当初はバグダード政府と呼ばれていたシーア派政府だったが、バグダードは戦闘で壊滅状態に陥ったため、シーア派もバスラへと移動して別に政府を樹立。これにより、イラクは北のクルド人(アルビール政府)、西のスンニ派アラブ人(ラマーディー政府)、東のシーア派アラブ人(バスラ政府)に分かれて内戦状態に陥った。クルド人はキルクークを巡ってシーア派のバスラ政府と戦い、三つ巴の戦争となるかに見えたが、従来よりクルド人はイスラエルと貿易関係にあったため、イスラエルに与して、さらにスンニ派ラマーディー政府とも結んで大きな対立構造へと導いた。
こうして、第五次中東戦争はイラン・トルコ・バスラ政府VS米国・イスラエル・クルド人・ラマーディー政府・サウジアラビア・バーレーン・クウェートという単純な図式になった。
ここまで、僅か一ヶ月の出来事だった。

この頃から各国は、これを第五次中東戦争と呼称するようになったが、あくまでこれは第二次世界大戦後に延々と続いてきたこの地域の紛争の新たなステージであるとしか、どの国も、おそらく当事者たちも思っていなかっただろう。

戦争の拡大の発端となったのは、米国の消極的な姿勢に対応するべくサウジアラビアが起こした行動だった。
米国にとってこの戦争は同胞イスラエルを守りイランを封じ込めるためのものだったが、米国に直接的な利益はなく、イスラエルによるダマスカス攻撃によってPKOに死者が出た日本やドイツなどの同盟国からの理解もなく、ともに戦おうとする国は先進国では他にいなかった。
そのため米国はもっぱら後方支援や武器援助などにしか取り組まず、しかしイランの進軍はイラク北部からシリア、レバノンまで至り、アラブ諸国は焦りを見せていた。

そこでサウジアラビアは、イランに多方面展開を強いて兵力を分散させる作戦に打って出た。
イランの東で国境を接するパキスタンとアフガニスタンにおいて、スンニ派武装組織を支援して武器を与え、ミサイルによる越境攻撃を行わせたのである。また、スンニ派民兵を利用したドローンやミサイルによってペルシア湾での攻撃も開始し、イランは三方面の展開を強いられた。

しかし、ここでサウジアラビアにとって予想外の出来事が発生する。パキスタン国内において、サウジが提供した武器が流用され、パキスタンとインドが領土を争うカシミールへの攻撃に使われたのである。
パキスタン政府は国軍による攻撃を否定したが、インドはパキスタン軍がサウジの武器を使用して攻撃したと主張。米国やロシアも、少なくとも使用された武器はサウジのものだと断定した。
誰が使ったか分からない上、様々な勢力が蔓延るパキスタンではそれを確かめる手段もなく、インドはサウジを批判した。

さらにパキスタンは、インドが報復攻撃をしたとしてカシミールへの大規模な軍事侵攻を開始。ついに第四次印パ戦争が勃発した。

もともとトルコとイランのバックにはロシアがついていたが、ロシアは伝統的にインドと良好な関係であり、インドへの支援を表明した。パキスタンの崩壊は攻撃を受けるイランと利益を共にするため、インドはここでロシアとイランと組んでパキスタンと全面戦争を行うことにしたらしい。そのために南部のバローチ人とシンド人の独立を支援したことで、グワーダルを首都とするバローチスタン共和国とカラチを首都とするシンディスタン共和国が成立、パキスタンの崩壊が始まった。

しかしパキスタンに多額の資金を投じてユーラシア大陸の経済圏・「一帯一路構想」を進めていた中国は、パキスタンの債務不履行を懸念し、もとより不仲であったインドとの間で第二次中印戦争が勃発。
インドは石油が売れず苦しんでいたトルクメニスタンを説得し、周辺が戦場となっていたトルクメニスタンのためにバローチスタンとシンディスタンを通る石油輸出ルートを確保、トルクメニスタンとともに中国国内で弾圧されるウイグルによる内戦を手引きすることで中国を内側から攻撃することにした。

中東戦争がインドVSパキスタン・中国という新たな戦争の火種となってしまったことに対して国連では激論が交わされたが、安保理は機能せず、国際社会はなすすべもなかった。


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