第二話: Glória in excélsis Deo−15
「…お前、あのとき言ったこと嘘だったのか」
「嘘じゃないよ、一緒にVASNAに行けばいいじゃん。早くこんな世界見限ってさ」
洗脳と分かっていて聞いた伊吹だったが、昼神もそう答えた。確かにそれならば嘘ではないかもしれないが、やはりそこに伊吹の意思を尊重する意図は見えない。そういうところが洗脳らしかった。
「俺さ、初めて香港でVASNAと会ったとき、あいつらの言ってることに完全に反対ってわけじゃなかったんだよね」
「…?」
しかし昼神がしゃべり始めたそれは、洗脳によるものではない過去の話だった。
「もともと政府や国防軍の伊吹に対する態度がむかついてたし、ライプツィヒ攻撃のとき、烏養さんが伊吹を守ろうとしなかったのも腹が立った。結局、伊吹が言ってた通り、烏養さんも牛島さんも立場の方が大事なわけだ。だから、香港で佐久早に言われたことって間違いでもないなって」
「佐久早に言われたこと?」
「伊吹を傷つける既存世界の常識の中で伊吹を守って何になる、って感じのこと」
確かに伊吹は世界に傷つけられているのかもしれない。そんな世界を伊吹が疎んでいたのなら、佐久早の言うことも間違いとは言えないだろう。しかし、もっとシンプルな理由で伊吹はそれは違うと言うことができた。
「…それでも、俺はこの世界が、大事なんだ」
戦場や難民キャンプで会ってきた人々の笑顔が頭に浮かぶ。どんなときでも「人」であった彼らに、人類の負の側面で傷つけられたはずの彼らにこそ、人類の希望的な部分を見出した。
「俺が傷つくことと、俺がこの世界のために生きていきたいと思うことは別の話だ。関係ねぇんだよ」
洗脳された昼神に言っても意味はないだろう。それでも、伊吹はきちんと言いたかった。昼神の腕を振りほどき、正面から向かい合う。驚いたようにする昼神の目をじっと見つめ返す。
通じないと分かっていても、気持ちが通じればとつい思ってしまうのは仕方ないだろう。あれだけずっと伊吹のことを支えてくれたのだから。
すると突然、その後ろに男が現れた。どこからともなく出現した姿に、伊吹は目を見開く。
「まぁ、伊吹ならそう言うとは思ってた」
「…ッ、佐久早…!!」
なんと、そこにいたのは佐久早だった。会うのは香港騒乱以来となる。
昼神は特に驚いていないため、最初からここに佐久早がいたのだろう。ミュンヘンで照島が使っていた迷彩兵器かもしれない。相変わらず驚くほどのステルス性能だ。
「宮侑や昼神の言葉ならお前も少しは揺らぐかと思ったけど、他人の言葉程度で信念曲げるようなヤツじゃねぇよな」
「…こんなことして、許されると思うなよ」
「大丈夫だ、すぐこんな世界ぶっ壊す」
「自分らじゃ戦うこともできねぇから洗脳かけたんだろ。どうやって壊すってんだ」
佐久早は昼神を押しのけ伊吹の正面に立つ。昼神も佐久早も190センチのため、かなり上から見下ろされる形だ。
「お前を洗脳する」
「はぁ?」
分からないことの多い洗脳魔法だが、ひとつ特徴がある。それは、魔力差が大きい相手には洗脳をかけられないということだ。先ほど広尾が伊吹以外の青根たちに洗脳をかけた際、伊吹がなんともなかったのは、広尾と伊吹とでは保有する魔力量にあまりに大きな差があるからだ。とはいえ、こうして昼神や侑のような上級魔法科兵にすら洗脳を成功させているあたり、彼らも並みの魔力量ではない。
「もともと、広尾は潜ってやつと、大将は沼井と直列して洗脳魔法を使ってた。この4人で直列してもお前には敵わねぇから、お前以外のヤツらを洗脳してあとで直列させるつもりだった」
どうやら広尾と大将はそれぞれ別の人物と直列展開することで第1魔法科大隊への洗脳を行ったらしい。それでも伊吹には及ばなかったが。
「本来なら、ここに牛島や及川みてぇなイニシャルセブンのヤツらもいるはずだったから、そいつらも使えば伊吹を洗脳させられた。それなのにヤツらがいねぇから、急遽俺と古森、百沢も新宿に出てきたわけだ」
国防軍が東京でのテロを前に魔法科を出さないとは佐久早たちも誤算だったようで、牛島たち隊長格を置いてきたために魔力量が足りず、佐久早たちも出てきてこれから第1魔法科大隊と直列洗脳魔法を展開し伊吹を洗脳するという。
伊吹への洗脳が成功すれば、あとは伊吹の爆轟魔法によって世界を滅ぼすだけだ。