第三話: The Tokyo's day to burn blue−13
「……俺がなんのために生きてきたのか、知ってんだろ」
か細くなった伊吹の声に、佐久早は息を飲んで動きを止める。佐久早に縋るような姿勢になったまま、言葉を続ける。
「間違いも多い世界だけど、でも俺は、人が人として生きることより大切なことはねぇんだって思ってる。それは、俺がこの世界のために生きてきて学んだことだ」
「人が人として生きること…」
「人は低い方、楽な方、安直な方に流されやすいし、ネット社会になって自分に都合のいい主張や意見だけに囲まれやすくなった。大衆に流されるヤツもいれば、大衆を演出して扇動するヤツもいて、それを利用して悪さするヤツが政治家なこともあるし、あの戦争だってそういうことが影響してた」
それこそ新宿のように有象無象が集まる街ともなれば、群像劇とでも言えるような多様な人間の関わりがある。
「自分の不満をそれっぽい言葉に変えて政権批判をしたり、主観を一般化してマジョリティとして振舞ったり、何も考えずに選挙に行ったり、考えてるフリしてネットの受け売りだったり。人って、社会って、世界って、結局そんなもんだ」
とりわけインターネットによってあらゆる意見の取捨選択ができるようになったことは、これまでの人類の歴史では考えられなかった社会の変容をもたらしている。めまぐるしくアップデートされていく価値観の中で、本質を見失うことや、議論のスケールを考慮できないこともある。
そんな中での意見や批判、または単なる言葉の足りなさが、簡単に人間関係を白紙にしてしまうようなこともあっただろう。
「この世界の誰も、第二次世界大戦を繰り返したいだなんて思ってなかったんだ。それなのになし崩し的に戦争になったのは、人ってのが案外簡単に扇動されて騙されるものだからで、大衆が目の前の小さな衝突や事件一つ一つにあまりに感情を動かし続けたからだ。だからこそ、社会や国家という『単数』が、本当は自分と同じ人間という『複数の単数』なんだって意識が必要だった」
伊吹が函館でリエーフに言ったことと同じだ。目の前の人間を、人種や外見・国籍に関係なく一人の人間として見ることが重要で、その小さな意識の改革が、世界を平和にするアプローチの誰にでもできる小さな一歩なのだ。
「佐久早も古森も百沢も、この事件に関わったヤツは、きっと死刑が世論から求められる。今日、東京で亡くなった人の数を見て世論はそう動く。それでも佐久早には佐久早の事情があって、お前らの尊厳の範囲で裁かれなきゃならない。だから俺は、それこそVASNAが崇めるくらいのレベルの魔法科兵として、きちんと魔法の影響を考慮してお前らの罪の範囲を明らかにしてぇんだ」
「…俺の人としての尊厳と権利を守るためってことか」
「……洗脳によって第1魔法科大隊が殺した民間人のこともある。お前らが何かしらの魔法的な影響を受けているのであれば、等しく考慮されるべきだろ」
伊吹の話を聞いた佐久早は、ふっと小さく笑った。この男が笑うのかと少し驚きだが、それよりも先に、佐久早が伊吹の頭を軽く撫でたことにも驚いた。
「…世界が、伊吹みたいな綺麗で優しいものになって欲しかった。でもそんな伊吹は、この世界が育んだんだな」
「…?」
何かに一人合点した佐久早の顔を至近距離から見上げ首をかしげる。佐久早はどこか吹っ切れたような薄い笑顔にも似た表情でこちらを見た。
「すべて伊吹に任せる。俺の命も処遇も。答えられることには答えるし、協力できることには協力する」
「どういう心変わりだよ」
「思い出したんだろうな、あんたのおかげで。この期に及んで俺を助けようとする伊吹を見て。俺は、こんな世界を恨んでたけど、それでも、俺はこの世界で生きていきたかった。あんたみたいに、綺麗に生きたかった。でもだんだん、汚い世界の方を壊そうと思うようになって、そんでVASNAで活動するようになった。そういう最初の感情を思い出したから、協力する気になった。あんたが綺麗に生きていくところを見たくなったんだ」
ぽたりと、佐久早の瞳からこぼれたものが伊吹の肩に落ちてくる。伊吹を綺麗だと言って憚らない佐久早だが、その水滴は驚くほど綺麗に見えた。
「…でも、できれば伊吹のそばで、それを見たかった」
それは明確な後悔だ。本当に変えたかったものは世界ではなく自分自身だったのだと、今になって気付いた男の、懺悔でもあった。