第三話: The Tokyo's day to burn blue−14


10か月前、大韓民国ソウル特別市・東大門(トンデムン)区。


後に韓国の歴史において、「炎の3日間」と呼ばれるソウル砲撃が始まった日、佐久早と古森はソウル市北東部の東大門にいた。巨大なソウルにあっても大規模なショッピング街として知られる。
特にファッションというものにこだわりがあるわけではなかったが、同僚であり従兄弟の古森に誘われて連れ出された形だ。せっかく仕事が休みであったにも関わらず外に出るのは億劫だったが、これからやってくる長く極寒の冬を前に麗らかな秋の日差しを浴びるのはさほど悪くないように思えたのだ。

そうしてやってきたDoota Mallという大型モールの地下2階、メンズファッションフロアにいるときに、突如として屋外から空襲警報が響いてきた。甲子園のようなサイレンがうっすらと地上階から聞こえてきて、そして大勢の市民が慌てて駆け下りてくる。

佐久早と古森がこの街で暮らし始めて1年と経っていないが、こんなサイレンを聞いたのはこれが初めてだ。


「なんだ?警報?」

「…空襲警報だろ。くそ、だから帰国するべきだっつったのに…」


佐久早はすぐにこれが北朝鮮による空爆だと気づいた。中東から始まった戦火は第二次中印戦争となってシルクロードショックによる大不況を招き、ついに極東に至ったのだ。
もともと中国がインドとの全面戦争に乗り出し、中東戦争が激化する中で、半島情勢も揺れていた。佐久早は上長や日本本社に対して帰国するべきだと提案していたが、日本政府がどうだの韓国世論がどうだのという判然としない説明ばかりで話にならなかった。
いざとなればすぐ撤退できるとでも思ったのだろう。

確かに、ソウルでも戦争になるという論調はほとんどなく、中東のことという対岸の火事でしか見ていなかった。徐々にロシア人や中国人の帰国が鮮明になり、米軍の家族も撤退しているという噂を日本人コミュニティでも聞いていたが、地元の韓国人たちは慣れたようにしていたのだ。


空襲警報が鳴り響く中、突然、くぐもった地鳴りのような音が聞こえてきた。同時に悲鳴もいくつか上がる。単なる警報ではなく、本当に空爆が始まったのだ。
その音を聞いて、地下に来ていた人々の目の色が変わった。まさか本当に戦争になるなんて、とでもいうような蒼白になった顔の市民が慌ててスマホで電話をかけ始める。


「ど、どうする佐久早…」

「今外に出らんねぇだろ。爆撃機が来てるのかミサイルが飛んでんのかも分からねえ。爆撃が止んでから移動するぞ」

「分かった」


冷静な佐久早に古森も落ち着きを取り戻しているようだったが、佐久早は内心で心臓をバクバクとさせていた。ソウルは韓国の人口の半分以上が暮らす巨大都市だ。そこが他国の爆撃を受けているというのが信じられなかった。

その直後、地上の上階に着弾したらしい、腹に響く轟音とともに床が揺れ、天井から埃が舞い、照明が瞬いた。激しい爆発音で人々は一斉に悲鳴を上げて蹲る。ガラスが割れる音や女性の甲高い叫び声が鼓膜を揺らす。
佐久早と古森も思わず床に膝をついて頭を手で覆った。日常生活で決して聞くことのないような音の数々に、一気にここが戦場という非日常と化したのだと実感する。

日本はイスラエルのことをめぐって米国と対立気味とはいえ、厳然たる米国の同盟国である。もし北朝鮮が侵攻して来れば、日本人はどうなるのか、想像に難くない。

ただ、日本だってこのような事態を想定していないわけがない。邦人救助のために全力を尽くすはずだしプランもあるはずだ。まずはそれを待つべきで、今はこの空爆で命を落とさないようにするべきだ。
薄暗くなり、大勢の悲鳴が満ちる恐慌状態のフロアの中、佐久早は古森に見えないよう拳をポケットの中で握り締めながら、自分にそう言い聞かせていた。


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