第四話: Laufet, Brüder eure Bahn−3
東京都千代田区・内幸町。
日比谷公園に面した昭和建築の高層ビル群の一角、巨大なドーム状の天井が特徴的な建物が日本プレスセンターである。日本の新聞社などの統括団体をはじめ、戦後の日本が外国要人をはじめとする大規模な記者会見などを主催できるよう建設された、報道専用の建物だ。
バンコクでのテロ以降、魔法を使った災害レベルのテロは想定されていたはずなのに、実際に東京でテロが発生した際の政府の対応はお粗末なものだった。
政府としてはテロに対する現場対応はまず警察庁、東京では警視庁の管轄であるという認識であり、細かい対応は都道府県の管轄だと考えていた。当の警察は魔法に関しては自分たちの力が及ばないため国防省の責任だとしていたし、国防省は国防軍の出動は法律上、首相か都道府県知事の要請がなければできないという立場だった。
東京都は大規模なテロは激甚災害クラスであるため首相官邸の危機管理室が対応するものであるためその判断を待つつもりであり、警視庁は初動対応では市民の避難に特化していた。
こうして、テロ発生時に東京都庁と首相官邸それぞれに情報連絡室と危機管理室が設置され、警視庁は総動員で数十万人の市民の誘導をするのに必死だったが、その後の対応は東京都も官邸も情報収集と各所とのやり取りに悩殺され、結果的にほとんど連携することもないまま、伊吹たちが自主的に展開するのに任されることとなった。
新宿や渋谷で大規模な被害が出たことでついに東京都は国を待たずに国防軍に災害出動を要請し、国防軍は被害の大きさから普通科を出すわけにはいかなくなり、やっと牛島たちが合流した頃には、危うく伊吹が洗脳される一歩手前だったわけである。
死者600人などというのは、近年の日本では大地震でも出ない数字だ。そのうち4割が、第1魔法科大隊の戦闘による死者だった。
テロ被害の大きさ、政府の対応のまずさと現在もなお責任の所在が決まらないこと、今後のテロの恐れと国民の不安感、国防軍が市民を殺害したこと、そして危うく伊吹が洗脳され世界すら滅ぼしかねない事態に陥っていたことなど、今回のテロ事件はとても国防省や東京都の手に収まるものではない。
また、諸外国に対して今回の件を直接伝えなければ、今後の日本と国際社会との信頼や経済活動にすら影響を及ぼしかねなかった。
こうして首相官邸の委託のもと、政府や各省庁との関係がなく独立した記者クラブである日本記者クラブが主催する形で、大規模な記者会見が開かれることになった。日本の主要メディアのほぼすべて、そして東京に支社を置く外国メディアや各国大使館の関係者などが詰めかけ、250名の定員を埋めている。
プレスセンタービル10階、大ホールの隣にある控室で、モスグリーンの制服を着て伊吹と牛島、烏養が会見の開始を待つ。いつもの紺色の迷彩服ではなく、国防軍としての制服だ。烏養は三等陸佐、伊吹と牛島は一等陸尉であるが、この階級がこれだけの規模の会見に臨むのは極めて異例である。そもそも、日本記者クラブが主催する外国メディアも招いたような大規模な会見において、国防軍が出ること自体、自衛隊時代から考えてもあり得ない。国防省(旧防衛省)は身内を守ることに固執しているため、普通、会見するときには防衛記者会というクラブの主催でしか会見に応じないし、このクラブはもはや身内レベルのもので、都合の悪い質問が来ないようになっている。フリーランスはもちろん、外国メディアも参加できない。
首相官邸が主催したとしても同様の閉鎖性があっただろうが、今回はそういうわけにはいかない上に、官邸・国防省・国防軍・東京都・警視庁の熾烈な責任の擦り付け合いが起きている。間を取ってこのような形に落ち着いたといったところだろう。