第四話: Laufet, Brüder eure Bahn−10


「俺は、これまでの俺の意見が必ずしも間違っていたとは思わない。恐らくそれは伊吹も同意見なんだろう」

「はい」


規律を守ること自体は重要なことで、暴力装置である伊吹たちにとっては特に重要なことだ。だからこそ、今回はこれだけ問題になっている。伊吹とて今回のことを正しいことだとは思っていない。


「伊吹は規律よりも、人の命を守ることを選んだ。昨日もそうだったように」

「…はい」

「俺も同じだ」


唐突に「同じ」と言ったことに首をかしげる。牛島は命令が下ってから新宿にやってきた。なんの違反もしていない。そして窮地に遭った伊吹を救った。


「伊吹はいつも強かった。いつだって、俺に寄りかかることはあっても、それは自立した上での話で、自分の足で立ちながら誰かに頼っていた。だが新宿駅南口に着いたとき、伊吹が俺に完全に体を預けるのを見て、やっとすべて気付いた」


牛島はそう言うと、そっと伊吹の頬を撫でた。かさついた指先が目元をなぞり、つられて視線を牛島に合わせると、その表情は驚くほど柔らかかった。


「ずっと、伊吹を守りたかった。ティクリートのあと『殺してくれ』と俺に言ったとき、俺は何もできなくて、それが心残りだったんだ。頼られるだけでは、甘えられるだけではなくて、俺に守られて欲しかった。伊吹にそうされるくらい、強くなりたかった」

「…っ、」


守られて欲しかった、それは伊吹の弱っているところを見せて欲しいというようなものではなく、伊吹が牛島に対してすべてを預けて託せるほど自分が強くなりたかったということで、伊吹にとってそういう存在となる関係になりたかったということだ。


「伊吹に言い寄るヤツら、特に雲南たちや照島と伊吹が強く結びついていくのを見るのが不愉快で、他の男に触られているところを見ると腹の中をドロドロとしたものが這うような感覚がした。北九州でお前に「好き」だと言ったとき、それはどんな伊吹でも受け入れるという意味だったが、あのときには、いや、ずっと前から、俺は伊吹のことが好きだったんだろう」

「…好き、っていうのは……」


北九州で伊吹を好きだと述べた牛島の言葉は、愛情というより肯定のそれであり、牛島の意図としても伊吹の受け取り方としてもそういうものであった。それは確かな事実だ。しかしそのときにはすでに、牛島はきちんと言葉通りの意味でも伊吹のことが好きだったのだという。
伊吹とて自身の感情に気付いたばかりである上に、それがいつからかなど分からない。牛島も分かっていないようではあったが、それは些末なことだった。


「いわゆる恋というものなんだろう。そんな言い方をするとチープなものに思えてしまうのも確かだが、俺の感情にはそういう側面がある。だから、恥ずかしながら己の感情もコントロールできず、伊吹のことをいたずらに傷づけてしまった。すまない」


及川が言っていた通りで、牛島は自分の感情をコントロールできていなかった。その理由は、伊吹を大事に思う気持ちの中に恋愛感情という異質なものが入り込んでいたからだ。つまるところの嫉妬である。


「俺の感情は一つの言葉や概念では表現できないし、その必要もないと思う。ただ俺は、これからはずっと、伊吹のそばにいたいと思う。伊吹を傷つけようとする世界から伊吹を守り、そして伊吹がそんな世界を守ろうとするのを一緒に手伝いたい」


牛島も伊吹と同じで、自分の感情を一つに紐解くことはできない。あまりに様々な経験をしてきたため、単純な感情や言葉では表現できないのだ。
しかし、感情を正確に表現し尽くす必要などなくて、その先にどうなりたいか、どうしたいかが重要なのである。


「何を最優先にするか、明確な答えができたわけじゃない。だが、新宿で伊吹を抱き締めたとき、こんな思いをして伊吹を傷つけるくらいなら、お前を守ることを最優先に生きてみてもいいのかもしれないと感じた」

「最優先……」

「守りたいと思った者を一番に守る、その覚悟を、あのとき決めたんだ」


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