第五話: Ground-Zero−17
その空間は、60メートル四方はあろうかという大きなもので、高さも2フロア分ほど吹き抜けになっていた。
しかし広大な空間は無数のサーバーが簡易な棚に無造作に乗って唸っており、古びた扇風機が気持ち程度に冷やしている。整然と並んだ棚は伊吹たちの前に幅1メートルほどの通路を作っており、その先に見えるPC端末が所せましと配置されたデスクの前に白衣の男が立っていた。
部屋に入ってすぐの両脇には、先ほど伊吹が気絶させた男たちが倒れている。
伊吹は隣の牛島、後ろの及川と木兎にそっと目くばせをしてから、いつでも魔法を展開できるよう警戒しながら歩き始めた。
棚の間の通路を前へと進み、透視によって空間をくまなく警戒する。特に変わったところもトラップもなく、正真正銘、ここが最奥だ。
通路をゆっくりと進んでいくが、特に前方の男からの反応も迎撃もなく、伊吹たちは男の背後3メートルほどのところ、棚の通路が途切れて開けるところで止まった。
男が立っているデスクには何台ものPCが並び、書類や薬品、カプセルが散乱している。
「…この国に日本国防軍が、君たちが派遣された時点で、私の敗北は確定していた」
「……ずいぶんと流暢に日本語を喋るんだな」
「洗脳魔法の発動条件は知っているだろう。その亜種こそ私の魔法の神髄だ」
男はそう言って、ようやくこちらを振り返った。アラブ系の顔立ちはこの国で最も多い系統の人種で、浅黒い肌には無精ひげが生えている。白衣姿ということもあって、医者や研究者といった風体だ。事実、そういう性質の者だろう。
「名前は」
「ラギーフだ。久しぶりだな、朝倉伊吹」
「……まさか、2年前の実験施設にいたのか」
「君に最大値の薬品を投与したのは私だよ。君が3日間苦しむ姿を記録していたのもね」
ラギーフと名乗った男は、どうやら2年前に伊吹たちが実験されたときに関わっていたらしい。NGOとして多文化共生社会教育をしていた伊吹を西洋思想の悪魔だとして、死ぬことが前提の実験を行った結果、伊吹は生存し戦略核兵器級の魔法使いとなってしまったのだ。あの地獄のような3日間のことはよく覚えている。
当然あの頃を忘れたことのない他の3人も殺気立つ。
「…よくあの爆発から生き延びたな」
「君たちがどんな魔法使いになったのか知ったのは私だ。脱出されるのは時間の問題だった。君が生き延びた時点で、私は必要なデータや機材だけ持ってティクリートを脱出していた」
「その後VASNAを構築したのか。狙いは」
ラギーフはじっとこちらを見つめたあと、少ししてから口を開いた。
「君たちはもちろん、UNIASSMにいたくらいだから、2010年代のイラクがどういう状態だったか知っているだろう。今から10年ほど前にこの地域で何が起きたのか」
「それがどうした」
「私はあの内戦で家族をすべて亡くした。激戦地となったモースルで。家も仕事も、愛する妻も、まだ10歳にも満たない娘と息子もだ」
チュニジアで始まった「ジャスミン革命」に端を発する「アラブの春」は、中東諸国に政治的動揺を引き起こした。そしてシリアでは独裁政権に反旗を翻した反体制派が内戦を起こした。
その少し前、隣国のイラクでは、米国がイラクのフセイン政権にいちゃもんをつけて戦争を起こし、フセインを裁判にもかけずに処刑し体制を破壊した。秩序を喪失したイラクの治安回復もそこそこに、とっとと「民主的に」選ばれたシーア派政権に丸投げして米軍は撤退。政権はイラクを御することができず、米軍が破壊した秩序の合間を縫って過激派テロリストが活躍した。
テロリストはやがてイラクから混乱するシリアに渡って「イスラム国」を名乗り、内戦下のシリアで資金や武器を調達してイラクに戻り、そしてシリアとイラクでの領域的な支配を始めた。
イスラム国掃討のために米国は再びイラクとシリアに入り、イラクの拠点モースルや「首都」だったラッカを制圧。数百万の犠牲と数千万の難民を生み出した戦いは一応の終結を見た。