第五話: Ground-Zero−20
やはり、実質洗脳されていたようなものだったのだ。たちの悪いことに、洗脳魔法と違って解除というものがないため、単純に説得すれば応じてしまえる。思考を誘導されただけで強制されていないため、普通に考えを改めることがあるということだ。
だからこそ、タシュケントで雲南を、ベルリンで桐生を、新宿で佐久早を説得することができた。それは洗脳魔法が解けるような劇的なものではない。
「汚染魔法の便利な点は、二次汚染が起こることだ。汚染された者たちの近しい者にも移っていく。猯や臼利、沼井、潜といったやつらがそうだ。照島と百沢はそれぞれお前と出会ったことで共鳴魔法が作用した。先に共鳴魔法にかかっていた佐久早たちとは逆だったが結果は同じだったな」
猯たちも二次汚染によって汚染魔法にかかることとなり、照島と百沢は二次汚染を受けつつもそのあとから伊吹と出会って共鳴魔法にかかったため、後から強い感情を持つようになった。百沢の魔法が深圳にいた頃よりも徐々に強くなっていった印象だったのはそのためだろう。
こうして二次汚染や後から共鳴魔法にかかったことで、VASNA日本人幹部たちの伊吹への思いが強くなり彼らの魔力も比例した。そして同時に、伊吹も強くなっていったのだろう。
「俺の魔力をそこまで高めてどうするつもりだった」
答えは分かっていたが、本人の口から聞かなければならなかった。それはラギーフも分かっていたのだろう、薄く笑って答える。
「VASNAのテロによって世界から居場所をなくしたお前が国連施設に幽閉されたところを、幹部勢で一斉に直列洗脳魔法をかけて洗脳し、世界を滅ぼすつもりだった。もちろん、もし佐久早たちが東京でそれに成功していれば万々歳だったが、国防軍相手に正面から戦ってそこまでこぎつけるとは思っていなかった。だが、東京でもテロが起きてしまえば、世界から居場所がなくなり、スイスに送られ、隙ができると考えていた」
まさに伊吹が危惧していた通りだった。あのまま伊吹への批判的な声が高まり続け、政府や国防軍がこれ以上厄介者を抱えたくないと判断していた場合、伊吹はスイスの国連施設に送られていた。そしてそこで、ラギーフたちによる洗脳を受けて世界を滅ぼしていたのだろう。
そうならなかったのはなぜか。その答えを知るラギーフは、隣に立っている牛島を睨みつけた。
「…お前さえいなければな、牛島若利。あのご立派な記者会見のせいで国際世論は魔法科兵の排斥よりもVASNAの掃討で団結する方向でかじを切った」
そう、牛島があの会見で伊吹を庇い、伊吹がどういう思いで戦ってきたのかを語ったことで、世論が変わった。しかし牛島は首を横に振る。
「俺が語ったのはありのままの伊吹だ。伊吹が伊吹だったからの結果だ。そうでなければ、パリやベルリンは動かなかった。もともと人権意識の高い国々がきちんと声を上げたのは完全に彼らの国がそういう国であったからというだけだ」
牛島の言葉が伊吹の胸を打つ。ライプツィヒのとき、「俺は人間ですか」と聞いてしまったが、牛島ははっきりと、伊吹は伊吹だと言ってくれた。
名誉市民号を授与したパリや、日本大使に抗議したベルリンは伊吹自身が原因だったし、スウェーデンやニュージーランドが会見に異議を唱えたのは彼らがそういう国だからだ。
つまり、ラギーフの読みが単純に甘かったとも言えるし、伊吹の人格的な部分を考慮していなかったとも言える。
「…愛が世界を救ったとでも?ばかばかしい…忌々しい!あと一歩だったというのに…ッ!」
ここにきて、初めてラギーフは感情をあらわにした。苛立ってデスクを殴りつける。しかしそれを見つめる牛島は冷淡だった。
「先ほどお前は、俺たちがこの国に派遣された時点で敗北していたと言ったな」
「……だからなんだ」
「あれは間違いだ。俺たちは、国防軍は、日本は、世界は、伊吹がどこまでも誠実で優しくて人間らしかったから変わった。伊吹があれだけの苦痛を経験し、日本でひどい目に遭っても、この世界を守りたいと思ったから今がある。伊吹が諦めずに努力を重ね、目の前の誰かから世界を守ろうと覚悟を決めたときからお前の敗北は決定していたんだ」
ラギーフの表情に憎悪が宿る。その体から徐々に魔力がみなぎったのを感じて、全員が臨戦態勢になる。そして牛島は、諦めたように小さく最後に言った。
「…伊吹がそう覚悟したのは、最初からこの地の人々のためになりたいと思ってキルクークに来たからだ」
伊吹たちを、世界をがらりと変えてしまった一人の男の憎悪。それに利用され、しかしそれに終止符を打った伊吹は、他でもない、この国のために活動していたのだ。
牛島はそれをラギーフにも分かって欲しかったのかもしれない。もちろんラギーフがそれをくみ取ることなどなく。
「私たちのためになりたいと言うのなら、なぜ私たちを見て見ぬふりしていたんだ」
低く唸るようなラギーフの言葉もまた、世界が負うべき罪そのものなのだ。