第一話: Not in the Combat−2
伊吹のような文民は基本的に市内の高級ホテルに滞在している。高級ホテルなのはそういう厚遇なのではなく、単に国連の定めるセキュリティ基準に合致するのが、こうした紛争経験国では高級なランクに限られるからだ。
国防軍をはじめPKF部隊はキルクーク国際空港に隣接した国連キャンプに滞在している。簡易なプレハブとテントのキャンプだが、設備はかなりしっかりしている。日本国防軍の施設部隊はそうした設営に長けていることで世界で定評がある。
車はシャリー・アル・マリク通りを北上し、やがて通りは右手にカサ川を、右手前方の対岸にキルクーク城塞を望むようになる。カサ川はティグリス川の支流だ。
総合病院の手前で左折し直進すると、ここ数日通っている学校に到着した。
伊吹が行っているプログラムは伊吹が考えたものを骨格にしながら、イラク国内の大学で修正をした2週間の教育プログラムとなっている。すでに2つの学校で終えて、現在、最も市内中心部のレベルの高い学校でこれを行っていた。
伊吹はアラビア語が少ししか分からないため、通訳担当の英語教師を交えて授業をしている。生徒たちの反応は良く、楽しそうに授業を受けてくれていた。
「じゃ、また午後に迎えに来るから」
「ん。じゃあ、また後で」
「はいはーい」
及川は軽く手をひらひらと振ってから、牛島に車を出させた。彼らはこのままパトロールに入る。
これから2時間ほど授業を各クラスで行ってから、また彼らと合流だ。
今日はまず、職員室でアシスタントの英語教師を打ち合わせをして、それから昨日の作業シートの内容を確認することになっている。 伊吹は薄暗い廊下を進んで、職員室の前にいたアシスタントの女性教師・ファーティマに挨拶をした。
「アッサラームアライクム、早いですね」
「ワ・アライクムアッサラーム、ええ、少し気になることがありまして」
若く英語が堪能な彼女は、内戦中は米国に逃れていた。鮮やかなオレンジ色のヒジャーブを纏ったファーティマは、その表情を心配そうにさせていた。
「先日、トルコのクルド人政党がテロリストと結んでアンカラでテロを起こしたでしょう。その組織は、イランのテヘランとシリアのラッカでもテロを起こしています。特に、UNIASSMに混じったトルコ軍や、シリアのイラン系の基地でのテロが相次いでいます」
「周辺国やアラブ人のクルド人への風当たりですね」
「そうです。私はシーア派ですが、友人たちもクルド人への悪口を盛んにしていて。アルビールでのクルディスタン独立を問う住民投票も周辺国との緊張を高めています」
そう言ってファーティマは、作業シートの束を取り出した。生徒たちの授業で出た意見が書かれた欄を見せる。
「書いてある内容は、アラブ人への憎悪、クルド人への憎悪…対立感情が強く出ています」
「この学校は水準が高い、生徒たちのリテラシーも高く、国際情勢にある程度敏感なのでしょう。自身のことに落とし込み過ぎています。世界で起きていることが自分たちの周りの世界を曇らせないようにしないと」
確かに紙には、民族的なことが多く書かれていた。ちょうど、クルド人をめぐって周辺国の雲行きは怪しくなっており、かつて内戦で米国で支援していたこともあってクルド人の武力は非常に高くなっている。トルコはそうしたクルド人への支援をはじめ、米国と様々な問題を抱えていたために、今はかなりロシアやイランとの結びつきを強めていた。
そんな情勢を見て、リテラシーの高いこの学校の生徒たちもナショナリズムを煽られているようだった。本来、シーア派は自身がシーア派であることを明かすことは少なく、スンニ派と目立って異なる点もないため、ファーティマがシーア派だとは初めて知ったが、内部での連絡が盛んなシーア派が言うなら地域全体でヘイトが高まっているのだろう。
「とりあえず今日はいつも通りに。長期的な方針は、UNIASSM内部で議論します」
「お願いします。次また戦争になれば、この国はもう立ち直れません」
半世紀にわたって断続的に戦争が起きているこの国は、本来、人口も文化も資源も大国たるに相応しいはずなのに、貧しいままだ。一方で人々は戦争に慣れてもいるので、戦争になったところで経済活動がストップするわけでもなかった。しかし石油生産が滞ることだけは避けなければならない。このキルクークが陥落するわけにはいかなかった。