第四話: the 2nd Shimonoseki Campaign−1


第四話: the 2nd Shimonoseki Campaign(第二次下関の戦い)



函館解放6時間前、福岡県北九州市小倉北区・モノレール平和通駅。


小倉駅から南に向かって伸びる大きな通りである平和通り周辺は、駅前の繁華街として栄えており、かつて修羅の街と呼ばれた名残こそ残していないものの、夜には酔ったガラの悪い若者が集団でウロウロするエリアだった。治安が悪いというより柄が悪いというのが今の正しい評価だろう。それでも、この地域で有名なフグの刺身などを求めて多くの観光客が訪れるようになった工業都市は、市民のたくさんの努力によって魅力的な街へと変化している真っ最中であった。

とある11月の土曜日、ようやく秋本番という気候になった頃、黄金川寛至、作並浩輔、吹上仁悟の3人は休みを利用してこの街にやってきた。3人とも今は東京近郊で働いていたが、今日は新幹線で九州まで観光に来ている。観光といっても、ひたすらフグやラーメンなど食べることが目当てである。

さっそく、早めの昼食を食べた3人は平和通りに出て、平和通駅の線路下で信号待ちをしている。これから在来線で福岡・博多へと向かう予定だ。モノレール駅である平和通駅の下は昼間でも薄暗く、通りの先に小倉駅の駅ビルがちらりと見えていた。土曜日ということもあって、すでに多くの人で通りは賑わっていた。

中国による事実上の宣戦布告があったことでメディアは大騒ぎになっており、SNSも不安がる声で満ちていたが、だからといって日常生活が止まるかと言えばそうではない。戦場となっている朝鮮半島からは多くの韓国人が難民として押し寄せてきていたが、それ以外で日常生活において戦争を感じることなどなく、第三次世界大戦と呼ばれる世界情勢にあっても平和そのものだった。物価が跳ね上がって苦しいところもあるものの、生活は平穏を保っている。


「やっぱりこの辺は難民が多いね」

「へ、日本人かと思った」

「さすがに分かるだろ…」


作並が信号を待ちながら辺りを見渡すと、黄金川もキョロキョロとする。吹上はそんな黄金川に呆れてため息をついた。歩道には段ボールに毛布を敷いて座っている人々が目につき、アパートやホテルの前にも韓国人たちの姿が見えた。黄金川は見た目で判断がついていなかったようだ。

大半の韓国人は、大阪や東京などの大都市で普通の暮らしをしている。日本でも大不況によってホームレスが多く発生していたため、ひっくるめて行政が世話していた。米国やカナダ、豪州からのボランティアもたくさん来ていた。路上生活をしている難民たちは、対馬を経由して小型の船などで入国してきた人々で、主に経済的にもともと苦しかった層だ。同じように、九州にはベトナムや台湾・中国本土、香港の難民もおり、特にベトナム難民は路上生活が多い。

こういうときに、世界が戦時下にあるのだと実感するのだが、あとはニュースの向こうの出来事だ。信号が青に変わると、すぐに意識は切り替わり、博多に着いたらまずはラーメンだろうか、などというような思考となる。

そんな人々に対して、これは横っ面をひっぱたくような出来事だったのかもしれない。


突然、市街地全体に電子的なサイレンが響き始めた。音が上がりきってから少し下がり、そして男性の自動音声に切り替わる。


『ミサイル発射、ミサイル発射。敵国のミサイルが発射されました。建物の中か、地下に避難してください』


再びサイレンが鳴ると、通りにいた人々は辺りを見渡す。意味もなく上を見上げては駅に隠れて狭くなった空を確認し、そして他の人々がどう行動しているか、互いに互いを見ていた。誰かが動かなければ動かないかのようだ。


「ど、どうする!?ミサイル!?」


黄金川は慌ててバイブレーションするスマホを握り締める。作並は若干顔を青ざめさせながらも、すぐに地図アプリを開いていた。


「北九州は地下鉄じゃないのか、どうしよう、駅の方行ってみる?」

「でも、中心地の方が危ないんじゃないか。頑丈な建物の方が…」


吹上は雑居ビルばかりの通り沿いを見ながら、どこに移動するべきか考える。しかし、それでは遅かった。


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