第二話: Le plus important est invisible−1


第二話: Le plus important est invisible(大切なものは目に見えない)





「伊吹さんいなくて良かったんスか〜、黒尾さ〜ん」

「いんだよ」


パリ9区、ギャルリーラファイエットの婦人売り場では、大きな吹き抜けの天井に鉄骨のドーム天井がその威容を維持しており、その直下で黒尾は無線への返答を終えてリエーフにすげなく返した。
リエーフとしては、せっかく伊吹が合流してくれるチャンスだったのに、と正直落胆の気持ちが拭えないが、食い下がると夜久に怒られてしまうため黙った。

有名な百貨店であるこの建物もまた歴史的な価値があり、特にドーム天井は傷つけないように戦闘した。一時はこの百貨店に立てこもるような形となってしまい、中に避難していた民間人280名が怯えていたが、今はSIA-88に乗って人々はモンパルナス方面へ移動を開始している。

もともと軍人だった黒尾や夜久と違い、リエーフは民間人上がりだ。同い年の犬岡と芝山も空軍に所属していたため、この第七小隊”Cat”で民間人から直接魔法科大隊に入隊したのはリエーフだけだった。


「ま、お前は伊吹と一緒が良かったんだろうけどな」

「…分かってるなら呼んでくれれば良かったのに」


黒尾はいつものニヤニヤとした表情でからかってくる。リエーフはぶすっとしている自覚はあったが、めちゃくちゃになった店内と、床に落ちて混ざり合い激臭を放つ香水、バラバラになったマネキンなどを見て、状況は冗談を言っているようなものではないのだと理解している。そしてそれを黒尾も分かっているだろう。


「俺が予想してたルーヴル籠城戦の完了時刻から20分は過ぎてる。伊吹がかなり苦戦したんだろ」

「伊吹さんでも、やっぱ魔法科は苦戦するんスね」

「実戦では初めてってのもあるだろうし、ルーヴルっていう場所柄もあるだろうな。でも、イニシャルセブンである伊吹は魔法科との戦いは二度目とも言えるのにこれだ、さすがに向こうも半日で北ドイツからパリまで来ただけある」


そう、伊吹は最初の魔法使いの一人であり、イラクでの脱出時に魔法科兵との戦闘を経験している。それでも苦戦するというのは、やはり相手も相当に強いのだ。


「黒尾隊長!避難民の輸送完了しました!」

「おー山本、お疲れ。やっくんは?」

「夜久さんはガルニエ宮殿の研磨さんたちを迎えに行ってます」


そこへ、山本が報告に来た。不良っぽい見た目で事実言動も荒いのだが、伊吹の方がより不良っぽい。なのに伊吹はあれでNGOにいたのだから、人とは分からないものだ。


「伊吹は東駅に向かわせたんスね」

「ルーヴルで苦戦してたからな。相手の魔法科兵の強さを鑑みて、先に東駅に行ってもらった。北も苦戦してたっぽいし」

「それでリエーフがぶすくれてんスね」


山本はケラケラと笑い、リエーフはさらにぶすっとしてしまった。しかしリエーフもさすがに大人だ、表情を引っ込めて普段の表情に戻る。
ちょうど、夜久と弧爪、福永が帰投して、周辺の確認をしていた犬岡と芝山も戻ってきた。上階にいた海も降りてきて小隊が全員揃う。


「…伊吹さんだったら、もっと早くできたんスかね」


ついリエーフがそう呟くと、近くに来ていた夜久が「なに言ってんだ」と尻を蹴飛ばしてきた。痛みに呻くリエーフはこの小隊では見慣れた光景で、他のメンバーは特にリアクションすることはない。


「リエーフはほんと伊吹のこと好きな」


山本が笑うと、リエーフは否定することもなく頷く。それもまた、この小隊ではよく知られている。山本と福永と同期である弧爪は、手元の端末でパリ市街地の状況を監視カメラや衛星映像で確認しながら会話に加わってきた。


「…伊吹は防御魔法が使えないから、ここみたいに広範囲防衛をともなう任務はあんま得意じゃないよ」

「そうなんですか?なんか伊吹さんなんでもできるイメージなんで」

「まぁ、それも間違いじゃない。範囲攻撃の精度が高いから、敵が攻撃する前に殲滅できるし。でも、それが合理的なわけでもない。今は東駅に物量が必要だから、クロや及川さんの判断は正しいと思うよ」

「そうそう。それになリエーフ、伊吹だって人間だ、あんま自分と違うって思ってやらない方がいいぞ」


黒尾の言葉に、リエーフは目を瞬かせた。考えたことのなかったことだったためだ。しかし言われてみると、確かに一線を画す相手のように思っていたかもしれない。
リエーフにとって伊吹は、あの函館での戦いで庇ってくれた人だ。恐怖に駆られていた市民は、リエーフに対して囮にでもなれと無茶なことを言ってきた。それを伊吹は、「国を憎んで人を憎まず」と諭したのだ。
もともと東京での差別から逃れて函館に移っていたリエーフにとって、あのとき伊吹が話してくれたことがあまりに嬉しかった。今でも、頭を撫でてくれたあの手が忘れられない。


「…だって、伊吹さんは、やっぱ特別なんで」

「リエーフのそれって、なんか崇拝みたいだよね」

「伊吹さんがいなきゃ死んでたかもしれないって意味では、そうかもです」


あのとき、伊吹たちがいなければリエーフは避難していた建物から外へ放り出されて殺されていたかもしれない。


「…別に止めないけどさ。伊吹、結構そういうの気にするっていうか、距離置かれるの寂しがるタイプだよ」

「え…かわいい……じゃなくて、さすがに本人目の前にしたらあからさまにはしないですよ」


そう言いはしたが、黒尾たちは「どうだか」といった態度である。リエーフ自身も正直無意識にそうしてしまうかもしれないと思っているのは確かだったため、気をつけようと思いつつ、伊吹が隊長を務めるような小隊があれば入ってみたいと思ってしまうのもまた事実だった。


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