第二話: the 2nd Babylonian Captivity−3
伊吹が連れてこられたのは、同じく窓がなくむき出しのアスファルトに覆われた部屋だった。しかし設備は手術室のようなもので、天井からは巨大な証明が部屋を照らし、病院らしいベッドが置かれている。
異様なのは、そのベッドや周囲の床に血痕が付着していることだ。周りの器具も血に汚れ、無数の注射器や茶色いビンが転がっていた。一目で、この光景がまるで人体実験でもしていたかのようだと思えた。
呼吸もできずに立っていると、奥の扉が開いた。中からは、水色の術衣を着た男たちが出てきて、その後ろから車いすが押されてきた。その車いすには、烏養が座っていた。
「烏養さん!?」
「……朝倉…わ…るい……」
呻くように烏養が言うが、黙れとばかりに伊吹は後ろから突き飛ばされ、ベッドに手をつく。烏養を乗せた車いすはそのまま伊吹が来た廊下へと向かっていった。
「に…げ……ろ……」
そして、烏養の小さなそんな声だけが聞こえて、扉が閉じられた。呆然としていると、さらに烏養が来た扉の方から悲鳴が聞こえてきた。男性の苦しむような、もがくような絶叫だった。その声の主は、少しして溝口だと気づく。いよいよ、何が起きているのか、自分の身に何が行われるのか察しがついてきて、恐怖で体がガタガタと震え始めた。
伊吹を連れてきた男たちは、伊吹を強引にベッドの上に乗せた。抵抗することもできず、伊吹は震えながら横たえられる。
普通なら拷問が予想される。これだけ医療が発展した今、これ以上実験する必要などないからだ。実験するとすれば、兵器や薬物などが考えられる。しかしそうすると、術衣を着ていることや手術室のような設備であることも疑問だった。
男たちは伊吹の手足をベッドサイドから延びるベルトに固定する。四肢を広げてベッドにあおむけになった伊吹は、照明の明るさに目を細める。男たちを必死に視界に捉えようとしたが、暗がりにいる男たちは見えなかった。
そして彼らは、アラビア語で何かを話し始めた。どうやら術衣の人物が来たようだ。断片的に聞こえてくる単語は、「PKO」「日本」「悪魔」「民族」「宗教」「多様性」「西側」「殺す」「一番上」といったところだった。人間の集中力とはかくも高まるものか、と伊吹はほとんど分からないアラビア語の単語の切れ端から彼らの意図を感じ取った。
恐らく、多文化共生教育を行っていた伊吹のその西側的思想を悪魔の行いだとして糾弾しているのだ。そして、そんな伊吹にはどうやら「一番上」の何かを施すらしい。民族や宗派の対立をよしとする勢力だと考えられた。
すると、術衣の男が明かりに照らされる近くまでやってきた。男は注射器を持っている。そしてそれを、伊吹の首に突き刺した。いきなり針が刺さる鋭い痛みと、何かが注ぎ込まれる鈍い痛みが走る。
「ッ…!ァ…!!」
ぐ、と腕に力が入りベルトが軋む。注射器が乱暴に引き抜かれると、血が少しだけ飛び散った。床にガラスが転がる音が軽く響いたが、もはや伊吹の耳にはそこまで拾えなかった。
熱を持った首筋から、一気に焼けるような熱さが全身に迸る。ついで、筋肉という筋肉が張り裂けるような激痛と、肺が圧迫されるような息苦しさ、そして激しい頭痛が一気にやってきた。眼球は内側から弾けるような圧力に痛み、肌が生きたまま剥がされているような激痛も襲い掛かる。
「ああ”ッ、ガハッ、ああ”あぁ”あぁあ”あ”!!!」
堪らず喉が張り裂けそうなほどに声を上げて叫んだが、まったく痛みはまぎれることはなく、すでに暴れてベルトが手首や足首に血をにじませていた。叫びながら、喉の奥から血が床や衣服に散ったのが見えた。
先ほどまでは確かに、及川たちと一緒に死ねたらなんて思っていた。だが今はもうそんなことはどうでもよかった。今すぐ、殺してほしい。この痛みと苦しみが逃れるためには死ぬしかないと思えたし、それはとても幸福なことだとすら思えた。意識を飛ばしたらすぐに痛みで目が覚め、やがて痛みが引いたと思えば再び注射器を打たれ、また激痛の中に突き落された。
それが実に3日間に及んでいたということは、のちに知ったことだった。