第三話: Montmartre Grim Reaper−5
モンマルトルの展望台に再び降りてきた伊吹は、パラシュートを外してセルゲイをアスファルトに横たえる。いったいどれがシールドの起動装置か分からなかったため、とりあえず下着姿になるまで服をすべて脱がせた。シャツと下着だけになったところで、溝口と直井が寺院から展望広場に階段を下りてきた。
「でかした朝倉!」
溝口に褒められ、伊吹はどう反応すればいいのか分からなくなって俯く。分かったように溝口は伊吹の背中を軽く叩いてから、直井と二人がかりで大柄なセルゲイを抱え上げた。
「大隊長が捕まったことで、あちらさんは相当焦ってんな」
そこへ、烏養もやってきて市街地を見渡す。伊吹も振り返って眼下を見てみると、先ほどよりも黒煙が増えていた。多くは麓からだ。
「モンマルトル山麓で激しい衝突になってる。さっき、アベス駅付近からムーランルージュにかけての市街地が丸ごと吹っ飛んだ」
「は……どんだけ強い爆轟魔法っすか」
「捨て身だよ。急性魔力欠乏で術者は死亡したが、”Cat”の方はけが人が出てる。夜久もな」
「…ッ」
恐らく、伊吹のことを守る夜久の魔力をたどって、範囲攻撃を行ったのだろう。町ごと夜久を吹き飛ばそうとしたのだ。
「っつっても、黒尾と犬岡の防御魔法で全員軽傷、まだ交戦中だ。ムーランルージュは全壊したが、仕方ねぇ」
歴史あるパリのキャバレーが焼失したという事実に心が痛む。しかし、今は目の前の敵の掃討だ。
そこへ、ケーブルカーの山麓駅の方から敵兵が駆けあがってきたのか、階段の上のサン=テルトル通りに姿を現した。兵士は爆轟魔法を近くの階段に展開して爆破、アスファルトがこちらに急速に飛び散る。全員シールドによって防がれたが、粉塵から急に飛び出した兵士が烏養の目の前に迫った。
しかし烏養はすかさず兵士の胸元に手のひらを当てて衝撃魔法を放ち、心臓を直に止めた。一瞬でぐったりとした体が地面に転がされる。
すると今度は、展望広場の下の公園から爆轟魔法が展開され、展望広場の一部が爆発、吹き飛んだ。瓦礫が直下の公園にある噴水に落下していくのが見える。慌てて溝口と直井はセルゲイを抱えて寺院へと走り、烏養と伊吹も階段を駆け上がりサン=テルトル通りに出る。
振り返れば、広場は半分が崩落し、階段には穴が開いていた。ケーブルカーの向こうには、丘を下る細い階段が延々と続く有名な路地があるが、その路地沿いの建物の上階部分は衝撃魔法で吹き飛ばされたのか、天井ごとなくなっている。
下町はあちこちから煙が上がり、アベス駅周辺は廃墟と化し、ムーランルージュ方面は建物が軒並み崩落して壁面だけが骸骨のように残っていた。
広場を吹き飛ばした魔法科兵はさらに、サクレ=クール寺院の東側にある円柱状の塔に独立爆轟魔法を展開した。魔力の流れが一瞬だったため伊吹が気付けず、次の瞬間には寺院で爆発が起こる。
「やられた…っ!」
急いで正面玄関へと風気魔法で飛びだして向かい、中に入ると、民間人が悲鳴を上げて長椅子の間に座り込んで頭を抱えていた。爆発によって塔は内側へと崩落し、教会内部に崩れていたが、しかし瓦礫はすべて昼神の孤立空間魔法による壁で受け止められていた。
薄暗い荘厳な教会内部には、東側の天井に空いた穴から日光が差し込んでいる。悲鳴や泣き声が満ちる中にあって、多くのカトリック信者たちが祈りの言葉を震えながら唱えていた。
「よくやった昼神!」
溝口が椅子にセルゲイを横たえながら声をかけると、「瓦礫は処理しときま〜す」といつもの緩い声が返ってくる。
それに伊吹もホッと息をついたときだった。
ふらふらと初老の男性が伊吹の横を通って正面玄関に向かう。ちょうど走ってきた烏養が玄関に着いたところで、外へ出ようとする男性を慌てて止める。伊吹も後に続いて玄関に出ると、烏養はハッとした。
「Are you the mayor of Paris?(あなたはパリ市長では?)」
「…Yes, I’m the very mayor of this city.(いかにも、私こそこの街の市長だ)」
「Danger, Do not go outside.(危険です、外に出ないでください)」
しかしパリ市長だという男性は聞こうとはせず、石の柵に手をついて黒煙の上がる街並みを眺める。伊吹はその場を烏養に任せて戦闘に戻ろうとしたが、市長に呼び止められた。
「You are the “named” Japanese soldier, right?(君は「ネームド」の日本人兵士だろう?)」
「…So what?(だから?)」
ネームド、それは戦場において特殊な名前をつけられ識別される兵士のことを指す。伊吹がそれであるとは、知っていた。
市長は肯定を返した伊吹に対して、縋るように、迷彩服を掴んできた。
「Please, please save us…save our precious…!!(頼む、どうか、私たちを助けてくれ…この街を、救ってくれ…!!)」
これ以上この街が傷つくところを見たくないのだという涙ながらの言葉に、伊吹は拳を握り締める。烏養も止めようとはしない。伊吹は詰めていた息を吐きだすと、服を掴むその手にそっと自身の手を添えた。
「Paris is the city worthy of staying a night. (パリは一晩を過ごすのに値する街です)」
「っ!」
それは有名なフランスの政治家、アンドレ=マルローの言葉だ。当然知っているらしいパリ市長は驚く。
第二次世界大戦後、独立を巡り起きたアルジェリア戦争においてパリが空爆されるのではと恐れた市民が脱出した夜、ときのド=ゴール政権の重鎮だったマルローは凱旋門でフランス軍を率いて一晩を過ごすというパフォーマンスをした。
それに感謝したド=ゴールに対してマルローが返した言葉が、「パリは一晩を過ごすのに値する街です」というものだ。
人間の在り方を、社会の在り方を、そして人権を人類に教えてくれたこの街に、今こそ恩返しするときなのだろう。