第四話: Völkerschlacht−3
「…それでは作戦を開始する。朝倉、いいか」
「……はい」
伊吹は立ち上がり、後方のハッチの前に立つ。使用する魔力量が多いため、孤立空間魔法に覆われていると煩わしく、あえてハッチを開放するのだ。上空600メートルほどの高さを飛行しているが、対空砲火はない。この機体が孤立空間魔法で覆われていることから、攻撃が無意味だと敵も理解しているのだ。
「朝倉、爆心は路面電車駅のヴィーラントストラッセ、火球半径は1500メートルだ。コントロールできるか」
「やります」
できるかどうかという次元の段階ではない。烏養も当然理解しているが、つい聞いてしまったのだろう。烏養も烏養で、やはり動揺しているのだ。
あとは魔法を展開するだけとなり、ハッチが開放される。途端に猛烈な風が吹き込み、機内の温度が下がる。低い雲が立ちこめている空が限りなく近い。眼下の街並みは、赤葦の報告通り、南部を中心に破壊されており、弾道ミサイルの着弾から二日が経った今も一部から煙が上がっている。
ライプツィヒ中央駅周辺のツェントルム地区には、歴史ある合唱団を有するトーマス教会やニコライ聖堂、荘厳な連邦裁判所や新旧の市庁舎、モダンなライプツィヒ大学やシティタワーという高層ビルなどが集中しているが、それらの建物も外壁が崩れ窓が割れている。たくさんの公園が点在する美しい大都市は、もはや半分が廃墟と化していた。
軽く息を吐いて、伊吹は市街地西部のアルトリンデナウ地区の住宅街に爆心を設定して魔法を展開しようとしたが、そこへ、無線が入ってきた。連合軍オープン無線だ。
『All station, ”Quad named” has arrived.(各員、クアドネームドが到着した)』
『Copy that. Is he “Montmartre Grim Reaper”?(了解。「モンマルトルの死神」か?)』
『Exactly. Quad named, “Sha Naqba Imuru”, “Persona non grata”, “Monster from Tikrit” and “Montmartre Grim Reaper” from far east(その通りだ。クアドネームド、「深淵を覗き見た者」、「招かれざる客」、「ティクリートの怪物」、そして「モンマルトルの死神」が極東からおいでだ)』
『This is Command, watch your mouth on open channel.(こちら司令部、オープンチャンネルだぞ、口に気をつけろ)』
オープン無線で連合軍が話しているのは、他ならぬ伊吹のことだ。戦場において固有名詞をつけられた兵士をネームドというが、伊吹の場合は今、四つの名前がつけられていた。
米軍やイラク軍などの間では、イニシャルセブンとして世界に衝撃を与えた魔法使いである上に凄惨な実験を耐え抜いたことからか、「深淵を覗き見た者」と呼ばれている。これは古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩冒頭の文章だ。この地域では作品名を冒頭の言葉とすることが多いため、ギルガメシュ叙事詩をシュメール語で別名「シャー・ナクパ・イームル/深淵を覗き見た者」という。
「ペルソナ・ノン・グラータ/招かれざる客」は枢軸軍での呼び名で、これは外交用語のラテン語が由来だ。主権国家は他国の外交官に対してその赴任を拒否する権利があるが、これをペルソナ・ノン・グラータと呼んでいる。
日本国防軍の間では「ティクリートの怪物」と呼ばれており、そしてつい今日から、EU軍の間ではモンマルトルで敵軍をたった一人で壊滅させたことから「モンマルトルの死神」と呼ぶようになったらしい。
司令部はこの無線が伊吹にも聞こえていることから窘めているが、英語の無線を理解した第1魔法科大隊のメンバーは不愉快な感情を隠そうとはしなかった。
木兎は座ったままニヤリとしてハッチの外を見遣る。
「先に空港爆破しとこうか?」
キレた木兎はじわじわと魔力を漲らせている。イラクで笑いながら戦っていたときを彷彿とさせた。それを見た隣の及川は、木兎の肩を叩く。
「やるなら俺もやるから全滅させないでよ」
「いや止めへんのかーい」
及川がてっきり諫めると思っていたのか、木兎の反対側の隣にいたアランがツッコミを入れた。
こうやって伊吹のために感情を動かしてくれる仲間たちがいてくれる、それだけで伊吹は自身が一人ではないのだと安心できる。しかし、やはり言葉は言葉だった。
つい、伊吹は震える手を胸元で押さえつける。死神、怪物、確かにその通りだ。
ティクリートで無実の市民11万人を焼き殺した。北九州で平然と残酷な殺し方をした。パリで敵大隊を一人で全滅させた。これを怪物を言わずになんと呼ぶのか。
早く攻撃を開始しなければいけないのに、開かれたハッチの前で、伊吹はまた竦んでしまっている。函館のときと同じだ。でも今は、あのときのように代替手段はない。
仲間たちの視線を後ろから感じる。大丈夫かと、きっと心配してくれていることだろう。
伊吹は震える自分の手を見つめる。この手は、もう。
その瞬間、伊吹の手を大きな別の手が握りしめてきた。驚いて見上げると、牛島が見下ろしていた。その真摯な瞳は、やはり、函館や北九州のときと変わらなかった。
フィンガーレスの革手袋では、指先で触れ合った部分しか肌に触れていないのに、包み込まれた手全体が暖かかった。
「大丈夫だ」
低く明瞭な声は温度を持っていて、冷たい風が吹き付ける中でもしっかりと耳に届いた。
「俺がいる」
それはある意味では傲慢な言葉なのかもしれない。しかし牛島の意味することは、すべてを一緒に背負うためにそばにいる、ということだ。自分がいるから大丈夫だ、というよりは、自分も背負うから大丈夫だ、と言っているのである。
手を握りしめる優しい手つきと裏腹に、牛島は力強く伊吹の肩を抱き寄せてきて、その強さが心をしっかりと支えてくれているかのようだった。