死界魔霧都市ロンドン−1
12月後半に差し掛かり、いよいよ第四特異点へのレイシフトの日となった。
次の特異点は1888年、英国の首都ロンドン。広範な領域だったこれまでと違い、都市一つだけが特異点となっている。
管制室に集まると、ロマニはいつも通り口上を垂れる。要約すると、産業革命というターニングポイントが狂ったロンドンだということだ。この街が特異点になるとしたら産業革命か名誉革命くらいだろう。
「ドクター、ソロモン王の時代の観測結果は出たのですか?」
すると、マシュがロマンにそう尋ねた。前回の特異点の後から、ソロモン王の時代である紀元前1000年頃をシバで観測する作業が第四特異点の特定と平行して行われていた。
紀元前の観測は精度が下がる上にエネルギーを食うため、リソース面でも懸念があったが、結果は出たらしい。
「うん、観測したところ、特に狂いはなかった。つまり、ソロモン王は関与していない」
「あり得るとしたらサーヴァントとして?」
立香はそれを聞いてなかなか鋭い指摘をした。時代から外れてソロモンが魔神を召喚しているなら辻褄は合う。だが、ロマニは首を横に振った。
「ソロモン王がそんなことに加担するとは思えない。冬木の聖杯戦争ならまだしも、普通は英霊の召喚は双方の同意が必要だ」
「…確かに。ソロモンは聖書で語られるのみだけど、古代イスラエルに繁栄をもたらしたソロモン王が世界を滅ぼす目的の召喚には応じないか」
唯斗もロマニの言葉に同意した。英霊だって拒否権はある。英霊としての格もそうだし、召喚されてから反転して攻撃を行うこともある。ちょうど、この前のギルガメッシュたちのように。
「とにかく、だ。今は特異点へのレイシフトに集中しよう。準備はいいかな?」
手を打ったロマニに頷き、唯斗は隣に立つアーサーを見上げる。
「地元だな、アーサー」
「地元と呼ぶにはあまりに時代が違いすぎるけどね」
そう苦笑するアーサーとともに、いつも通りコフィンに入る。蓋が閉じられて、息を整えて目を閉じる。
目が覚めて見える景色は、恐らく霞がかったロンドンの街並みだろう。快晴の青空が見られるような場所や時代ではない。
『アンサモンプログラムスタート』
そんなトリスメギストスのアナウンスを聞いてから、体に重力がかからなくなった。五感が消えて意識が浮遊する感覚。
直後、目を開いた、そのときだった。
「ッ!?ゲホッ、げほっ、…!」
管制室の清潔な空気から一転、目を開く前に吸った空気が肺を刺した。全身に痛みが走り、唯斗は地面にしゃがみ込む。
慌てて目を開けて周囲を見渡すが、灰色に霞んでよく見えない。恐らく市街地だろうことは分かる。足下は石畳で、霧の中に建物の影がかろうじて見える。近くには立香とマシュ、アーサーがレイシフトして立っているのが見えていたが、唯斗は激しく咳き込んで立っていられなくなっていた。
「っ!マスター!!」
事態に気づいたアーサーがすぐに駆け寄り、しゃがみ込む唯斗の隣に同じくしゃがんで抱き締めた。
「大丈夫かい!?いったい何が…この空気か…!?」
「げほっ、ぐっ、はぁッ、この、空気、魔力だ…!」
自身の魔術回路が反発する痛みであることを理解した唯斗は、この濃い霧が魔力そのものであることに気づいた。
「唯斗!?どうしたの!?」
「喘息か何かですか…!?」
『唯斗君!?大丈夫かい!?バイタルに異常、何が起きてる?!』
アーサーは鎧を消してから唯斗を抱き締めて、自身の胸元に唯斗の顔を押しつけることで大気の直接の吸引を防ごうとする。
呼吸はしづらいが、いくらかマシになる。アーサーの腕の中で浅い呼吸を行いながら、落ち着け、と自分に言い聞かせた。
「藤丸君、ドクター・アーキマン、この霧は魔力が極めて濃密に含められている。マスターの魔術回路が反発してるんだ」
『本当だ、この大気組成はあり得ないほど魔力と結合している…普通、魔術師なら耐えられるけれど、魔力の相性が悪いんだろう。唯斗君、恐らくもうやってるだろうけど、魔術回路を閉じるよう一切の魔術を控えるんだ。いいね。アーサー王、しばらく唯斗君を頼むよ』
「当然だ。マスター、どうだい?」
「っ、はぁ、回路は、閉じた…ダ・ヴィンチ、ガスマスクかなんか作れそうか…?」
『もう取りかかってるよ。でも、魔力があまりに強すぎる。少し時間がかかるね。でも室内にその霧は入ってこないようだ、立香君、マシュ、まずは室内に拠点を…』
ダ・ヴィンチがそう言いかけたところに、霧の中から声がかけられた。意志の強そうな凜とした声だ。
「お前ら、そこで何してる?」
霧から現れたのは、赤い模様が入った甲冑姿の女性騎士だった。