死界魔霧都市ロンドン−22
それでもアーサーは行きたそうにしている。
すでに、このとてつもない気配はこの空間に現界しているだろう。もしかしたら、立香たちと邂逅しているかもしれない。
しかし一向にこの空間が崩壊することはなかった。目的は一切分からないが、速やかにカルデアを抹殺するためではないらしい。
「…マスター、この気配は…ソロモン王のものというよりも…」
「……やっぱり、ビーストに近いか?」
「多分。まだはっきりとは分からない。ビーストは最初からビーストとして存在しているわけでもなければ、常にその状態というわけでもない。本来はビーストであるものが、幼体であったり仮初の姿であったりということがある。今回は後者じゃないかな」
「ソロモンのガワを被ってるってことか。いや、それにしても権能までってのはおかしい。俺もさすがに、ビーストのことは都市伝説レベルだと思ってたから詳しくねぇけど…」
ビーストはビーストだ。独立した存在であるはずの人類悪が、ソロモンの姿を完全に纏うということは考えにくい。「ソロモン」なるものの正体がまったくつかめなかった。
アーサーも同様で、唯斗の言葉に押し黙る。正体不明の相手に突っ込んで、カルデアへの帰還という第一目標を捨ておくのか、という唯斗の考えに反論できないだろう。
「本来なら、ソロモンこそマーリンと並んでグランドキャスターになってビーストに立ち向かうような格の英霊だ」
各クラスの最上位の英霊をグランドクラスという。普通のサーヴァントよりも上位概念として存在し、多くの権能を与えられている。これこそが世界の抑止力そのものであり、グランドクラスの7騎が揃って初めてビーストと戦えるのだ。
このグランドクラス7騎を召喚する決戦儀式を格落ちさせたものが冬木の聖杯戦争である。
「今ここにいるか、そんなレベルのヤツが」
「…いない、けれど、それでも…」
「アーサー」
唯斗は遮って、凭れていた体から離れてアーサーの肩を掴む。まだ体重をアーサーにかけてしまっているが、それでも自分の力でなんとか腹筋に力を入れて起き上がっている。
「相手がビーストだろうとソロモンだろうと何だろうと、やることは変わらない。みんなで力を合わせて立ち向かうべき相手だ。アーサー1人が背負うことじゃない。何より…この世界の危機なんだから、この世界の人間や英霊が、立ち向かうべきなんだ」
アーサーが異世界の王であることは、あまり意識したいことではなかった。
だが言わなければならない。様々な世界を放浪してきたアーサーだからこそ、俯瞰的になりすぎて「自分が倒すべき相手」と認識するようになっている。
本来、ビーストは人類悪。人類が乗り越えるべき苦難なのだ。
「異世界のアーサーに助けてもらって存続するような人理を、俺たちはどんな顔で次の世代に託せばいいんだ」
「…ッ!マスター…」
「これはお前の戦いであり、俺たちの戦いだ。だから、一緒に戦うんだ。そんで、今はそのときじゃない。分かるな」
アーサーがこうして逸ったように焦るのは珍しいことで、そして常にアーサーに「大人として」触れられてきた唯斗が諭すことも今までなかった。
じっと碧眼を見つめて言えば、アーサーはぐっと拳を握り締め、そして頷いた。
それを確認してから、唯斗は手を離して右肩に左手を押し当てる。回復魔術を展開して、ゆっくりと立ち上がった。
「マスター…?」
「まぁ、そうは言っても、あちらさんが俺たちをここで全滅させる気だったら、レイシフトを待つとか言ってらんないからな。戦う準備はしねぇと…ぐッ…!」
「だめだ、無理してはいけない」
回復させても痛むものは痛む。右肩以外にもあちこちに負傷があるため、全身の痛みでふらついた。アーサーは慌てて左側から支えてくれたが、高い位置にある顔を見上げて軽く微笑む。
「アーサーが隣にいるなら大丈夫だ」
「っ、君は、本当に…!」
息を飲んでから、アーサーはそっと唯斗の腰を抱き寄せて支えた。肩は痛むからだ。
左側にアーサーの温もりを感じながら、体重を少しアーサーに寄せて歩く。右肩に回復魔術をかけながら足を進めていくと、徐々に禍々しい気が濃くなっていくのが分かった。
あまり近づきすぎるつもりはないが、それでも、何かあったときにすぐ対応できるよう近づいておきたかった。
ただ、このまま戦闘になるようなことがあったら、正直勝ち目はない、と思っている。せめてアーサーだけでも、元の世界に転移してくれればいい。