この時間の先に−3
エミヤが夕食の下準備と言って、昼も早い段階から厨房に戻ってから、指定した時間にサンソンがやってきた。あまりサンソンを部屋に呼びつけるようなことはしたことがないため、エミヤとともに掃除を促すために突撃する以外にサンソンが部屋に来ることはない。
やってきたサンソンを部屋に入れてベッドに座らせると、唯斗は冷蔵庫からチョコレートの袋を取り出して手渡す。
「はい、これ」
「チョコレート、ですか…?」
キョトンとしたサンソンは、受け取ったものを見て首をかしげる。いきなりなんだろう、という心の声が聞こえてくるようだった。
「今日はウァレンティヌスの聖人の日だろ。だから、世界中でバレンタインっつって、近しい関係の人間たちがお菓子や花束を贈る日なんだ」
「なるほど、バレンタインは心得ています。マスターは、日本とフランス両方のルーツがありますが、どちらにおいてもこれは恋人の行事では?」
「日本じゃ結構、世話になってる礼ってのも兼ねることが多いんだ。立香がやるって言いだして、俺も合わせてやることにした。その…あんま、改めて礼を言うことって、ねぇから…」
唯斗はサンソンの隣でベッドに腰掛ける。
カトリックは聖人の日が各聖人ごとに決められている。第一特異点で世話になった聖ゲオルギウスは4月23日がそうだ。
2月14日は聖ウァレンティヌスとされている。他の国と同じく、この日はバレンタインデーとしてフランスでも盛んにイベントが行われるが、フランスのそれはより「恋人の行事」という趣が強い。フランスでは、自身の名となった聖人の日を第二の誕生日とすることも一般的で、こうした聖人に由来する行事は他にも多くある。
「フランスじゃ、確かに恋人とか夫婦のための日だけどな。まぁ、今日は日本式ってことで。いつもありがとう、サンソン」
「マスター…」
サンソンは一瞬目を丸くしてから、綺麗にほほ笑んで、唯斗の肩を抱き寄せた。一瞬で金属の細工を消したサンソンの肩に顎が乗るような形になる。
「サンソン?」
「礼を言うべきなのは僕の方です。僕の『在り方』を尊重して戦いも采配し、召喚されたときも、そしてあの夢の中でも、僕はあなたの言葉に救われた。英霊になってから救われるなど思ってもみませんでした。特異点で狂化された僕にすら、あなたは敬意を示してくれた」
ぎゅっと抱き締められ、清潔な香りが立つ。穏やかな声が耳を打ち、コートの内側の温かいシャツに手が触れた。
刑の執行でもないのに人を殺したくないというサンソンの意向を踏まえて戦闘では対人戦闘に気を遣うことや、召喚したとき、あの夢での出来事などをサンソンは挙げる。
「他のサーヴァントに比べて、僕は決してランクの高い存在ではありません。僕が史実の人間であり、近代のただの処刑人である以上、神代の英霊などには到底敵いませんし、それは決して自分を卑下する要素ではない。それでも僕は、何があろうと、あなたを守ります」
「…頼りにしてる。サンソンがそばにいてくれるのは、落ち着くからな」
「ええ。そうだ、お返しといってはなんですが、ココアを入れてきます。僕の時代はまだ今のようなミルクチョコレートではなかったので」
そう言って、サンソンは立ち上がって厨房に向かった。エミヤといい、その場で返そうとしてくれるのは、やはりいつどうなるか分からない状況であることには変わりないからだ。
ほんの数分で戻ってきたサンソンの手には、トレーに置かれたココアのカップがある。カップを受け取って一口飲むと、程よい甘さとカカオのコクが口内に広がった。
「…、美味しい。サンソンって器用だよな」
「一応医者ですからね。もどき、ですが」
「ありがとな。またお願いするかもしれない」
「いつでもどうぞ」
紅茶といい、サンソンは手先が器用なようだ。生前を考えれば納得である。
先ほどと同じように隣に座ったサンソンは、「それにしても」と言葉を続ける。
「ベッドに座ってバレンタインのものを渡されるとなれば、やはりフランス人としては期待してしまいますね」
「俺相手にか?」
「あなただからですよ、マスター」
カップをテーブルに置いたところで、サンソンは唯斗の頬を撫でて、腰に手を添える。
「サンソン…?」
至近距離に迫るアクアマリンの瞳は妖し気に微笑み、耳元で囁かれる。
「男と寝室に二人いるのなら気を付けるようにと言ったはずだよ、唯斗」
「ッ、あ、えと、サンソン…っ、」
「何度言っても警戒心を持たないで、キャスターやランスロットにまで手を出されかけているんだから、言っても聞かないのなら教え込ませるしかないようだね」
敬語をなくして、サンソンは徐々に体をこちらに倒してくる。支えきれず、唯斗はベッドに背中をつけて倒れこんだ。覆いかぶさるようにするサンソンにどうしようかと目を白黒させていると、サンソンは急に体を起こした。
「まぁ、今日は素敵な贈り物をもらいましたから、この辺で勘弁してあげましょう。でもマスター、学習しないなら体で覚えてもらいますからね」
「わ、分かった」
必死に頷くと、サンソンは苦笑して唯斗の頬を再び撫でる。先ほどの色のあったそれとは違う、優しいものだ。
「あとで美味しくいただきます。他のサーヴァントも呼んでいるんでしょう?」
「あ、あぁ…次はディルムッド呼んでる。そうだ、マリーにも、第一特異点や第三特異点で助けてもらった礼に用意してあるから、今度は一緒に食べよう」
「それはとても良い案ですね。きっと、マリーも藤丸に受け取ったもので同じことを提案するはずです」
にっこりと微笑んで、サンソンは立ち上がる。この空気の切り替え方は、若く見えるが妻子持ちだったサンソンの大人の色気の出し方だったように思える。
これは本当に次はないな、と実感した唯斗は、ちゃんと気をつけようと内心で思いつつ、サンソンを見送った。