絶対魔獣戦線バビロニアI−2
すると、おろおろしている唯斗に、兵士らしき男が声をかけてきた。
「君、見ない顔だな。最近ウルクに来たのか?どの門で受け付けをした?」
兵士は警戒はしておらず、単に世間話のように話しかけてきたようだが、一応このジッグラトは都市を統べる王の居城でもある、必要とあらば警戒するだろう。
「あー…えと、門の名前は、覚えてない…」
「覚えてない?」
「その、キシュの生まれだから、言葉、まだ慣れてないんだ」
「っ!キシュの…そうか、それは災難だったな。ウルクまで大変だっただろう」
キシュはウルクから北に100キロ近く離れた都市で、バビロンの東にある。
一度世界を滅ぼした大洪水のあと、最初に王権が降り立ったとされる聖なる都市であり、やがてキシュという名前は世界そのものを指す言葉に変わった。
いつしかルガルキシュという言葉は、「キシュの王」から「世界の王」を意味する言葉になる。
このキシュの街はシュメール人だけでなくセム系の人々も住んでおり、公用語はセム語系だった。
兵士の言葉は、キシュの生まれという唯斗の言葉を「災難だった」と述べた。キシュからウルクへやってきた旅路を「大変だった」とも。
交易路の発達したこの時代、キシュとウルクの間の交易路はそこまで大変なものではない。
「……家族もなくして、その、あまり記憶も…」
「無理もない。キシュが滅びたあとどこに身を寄せていたんだ?」
キシュに何かが起きたのだと判断した唯斗は、試しにそう言ってみると、兵士は疑わなかった。やはりキシュは滅亡したらしい。政治の中心ではなくなったあとも、キシュは貿易の中継地として重要性を維持し、西暦に入ってからササン朝がこの地域を支配するまで都市は存続している。
それなのに、紀元前27世紀時点ですでにキシュは滅びたのだという。
特異点として、一筋縄ではいかない状況になっているのだと、当然だが理解した。
「しばらくニップルとイシンに滞在して、それからウルクにたどり着いたんだ」
「そうか。ニップルからイシンの間は魔獣たちで大変だっただろう、よく北壁を越えられたな」
魔獣、という言葉にも馴染みがない。神代である以上、そうしたものは当たり前に大地を闊歩していただろうが、ニップルもイシンも大都市、ウルクとの行路に支障が出ているのは違和感がある。そしてニップルとイシンは無事なようだ。
しかし北壁とはなんのことだろう。
そこに、また別の声がかけられた。
「あなたが王の言っていた『天文台』の方ですか?」
「シドゥリ様!」
声をかけてきた女性はシドゥリと呼ばれている。服装からして高位の神官だろう。美しい女性だったが、こちらのことを天文台と呼ぶわりにどういう存在かは分かっていなさそうだ。
「ギルガメッシュ王が俺にご用命でしょうか?」
念のため敬語で、そしてギルガメッシュの名前を出してみる。ギルガメッシュがいる時代であることは、キャメロットの戦いで教えてもらっていた。
「ええ、王より天文台の客人がジッグラトの外にいるので連れてこいと」
「…分かりました」
唯斗とシドゥリは兵士と別れ、ジッグラトの中に入った。
壮麗な神殿を、多くの階段を上って最上部へと赴く。シドゥリはやはり祭司長であるらしく、多くの兵士や神官が敬っている様子が窺えた。
「お名前をお伺いしても?」
「失礼しました、俺は雨宮唯斗と言います、唯斗と呼んでください」
「本当に異邦の方なのですね、まったく聞き馴染みのないお名前です。どの門にもそのような名前の記録はなかったですが…どうやって市内へ?」
「…俺の国では、魔術と呼ぶ力によるものです」
「なるほど、魔術師なのですね」
魔術師という概念は共有しているようだ。カルデアからの情報を得られない中、少しずつ現地の人々から情報を引き出すしかない。
「キシュは滅びたと聞きました。ニップルとイシンが無事なら、ボルシッパは?」
「ボルシッパは2ヶ月程前に連絡が途絶えました。北壁の向こうで機能している都市はニップルやエレシュなど僅かです」
頭の中にこの時代のメソポタミアの地図を思い返しながら、ニップルの西、バビロンの南にあった都市の名前を出すと、これも滅びたという。そして、ボルシッパを含め、ニップルやエレシュは「北壁」なるものの北側にあるらしい。
エレシュは所在地が定かではないが、ニップルの北西20キロ、最も可能性が高いアブ・サラビクだとシドゥリの言葉から予想される。
そしてイシンの名前が挙がらなかったため、ニップルの南西、ボルシッパの南東に位置するイシンが北壁の南側にあると想定すれば、北壁というものはニップルとイシンの間を通る、南東から北西方向に伸びる巨大な壁だと考えられた。