絶対魔獣戦線バビロニアIII−10


立香たちがペルシア湾から離脱を開始して1時間が過ぎた頃、ラフムの第五波との戦闘を終えて唯斗がジッグラトに戻ると、ちょうど伝令兵がギルガメッシュに報告をしているところだった。


「黒泥、ギルスを飲み込みウンマ、ウルク方面に向かって流出中!まるで燃えさかる炎のようです!ウンマの城壁では到底耐えられません!」

「構わぬ、錨を上げよ!ナピュシテムの牙、展開だ!」


ギルガメッシュに号令に兵士が慌ただしく出て行ったのを見てから、唯斗はギルガメッシュのところに戻る。


「戻ったか。市内の状況は」

「南門、東門、西門が破られてる。市内で襲撃を受けていないのは、北部とジッグラト周辺だけだ」

「そうか。よく持ちこたえた」


ここ2回のラフムの襲撃によって、唯斗は多くの市民の犠牲を見てきた。助けられた数も多かったが、それ以上に、助けられなかった人々の姿が脳裏に焼き付く。
それでも事態は猶予を許さない。


「ナピュシテムの牙って?叙事詩の大洪水の物語の名前で、ジウスドラのことだよな」

「そうだ。大洪水から逃れるべく箱船を建造する物語であり、あらゆる生命を次の世界に送り届ける命の舟。その錨を上げて、このウルクの地を箱船とするのだ」


ギルガメッシュの話では、巨大な堤防のようなものであり、合図とともに大地を切り裂いて出現するものだという。これによって、堤防よりこちらを箱船のように残すことになる。

ギルガメッシュ叙事詩を含め、シュメール神話では旧約聖書などに語り継がれる洪水伝説の原型が見られる。
これをウトナピュシテムといい、これはジウスドラをシュメール語で言い換えたものだ。ジウスドラは旧約聖書のノアにあたる人物で、エリドゥの都市神であり事実上の最高神の立場であったエンキから大洪水による世界の終焉を告げられ、箱船による生命の継承を命じられる。エンキは洪水を後に後悔して、ジウスドラに不死性を与えた。

ギルガメッシュは立ち上がり、大階段からウルクをその先を見つめる。ペルシア湾からは黒い雲が立ちこめて迫ってきており、まさに世界の終わりのような不気味さがあった。
その背中を見つめていると、ギルガメッシュは泰然としながら口を開く。


「ようやくここに至ったか。この半年、鉛を飲む思いで待たされたぞ。原初の神、百獣母胎ティアマトよ。この先は我にも見えなかった神話の戦い。貴様が世界を飲むか、それとも、人類はこの世界を広げるに足るものなのか、答えを出す時が来た。神代世界、最後の戦いを始めようではないか!」


***


「う、そ…間違い、ですよね…シュメール文明で生き残った人が、たった800人なんて…」

「事実だ。ラフムの襲撃と海洋の浸食によって、ウルク第一王朝は崩壊した」


立香たちがジッグラトに戻ったときにはもう夜になっており、まずは玉座で情報共有の時間となった。
いつも通り、玉座に座るギルガメッシュと、玉座の階段の下でこれまでシドゥリがいた位置に立つ唯斗、そして同じく階段の下で玉座の正面に立つ立香、マシュ。その後ろにいるのはイシュタルとケツァル・コアトル、ジャガーマンで、アーサーは唯斗の隣にいた。

まずはウルクの現状を確認したが、この大地に残されたすべての人間の数が800人と聞いて、立香たちは愕然とする。マシュの震える声に、ギルガメッシュは端的に第一王朝の終わりを告げた。

立香たちは唯斗の方を見て確かめようとするが、唯斗も首を横に振る。


「黒泥の浸食で、ティグリス川本流沿いの都市ニナ、ウルカグ、ラガシュと支流のギルス、ユーフラテス川沿いのラルサは壊滅。ラフムの侵攻でウルとエリドゥも壊滅して、エリドゥは黒泥によって生き残った人々も消息を絶った。ナピュシテムの牙によって黒泥の浸食は一時的に止まっていて、ウルク、クタルゥ、バド=ティビラ、ウンマはギリギリ水没はしてない。でも、ラフムの侵攻は北壁のイシンまで達していて、イシン、シュルッパク、キッスラ、アダブを含めて、ウルクを除くすべての都市がその機能を停止した」

『この時代に残った都市のうち、ウルク以外はすべて崩壊したのか…』


ロマニの沈んだ声もあって、立香たちは偽りなく、すでにこの平野に残された人類が1000人を切ったことを理解した。
ギルガメッシュは淡々と言葉を続ける。


「そう、たとえこの窮地を乗り越えようと、この人口では王国は維持できぬ。衰退するのみであろう。だが案ずるな。たとえ王朝が滅びようと、シュメールの文化を継承する者がいれば人理は存続しよう」


もとよりシュメールの文明は滅びる定めにあった。それは正史でも同じだ。だがそれは次の文明への継承であって、消滅ではなかった。つまり、シュメール文明を象徴するものが残ればいいのである。
その条件こそ、ウルクという都市、そしてギルガメッシュという王だ。


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